公開日:2019年8月13日 | 最終更新日:2023年10月30日

食道がんのESD後、当然ながらのどが痛んだが、数日で終わった。放射線照射7回目が終わった頃にのどの痛みが始まった。照射12回目が終わった頃には声がほとんど出なくなった。15回目頃には首の部分に赤みが出てきた。ここでは、これらの初期の頃の状況についてまとめた。抗がん剤の副作用については「食道がん抗がん剤副作用の顔ぶれ」に書いた。

放射線療法の副作用で、のどがただれて強い痛みが始まった

ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)後、のどが痛かったがまったく違う

ESDを行った後、2、3日は喉が痛かった。これは腫瘍を切除したからで、食べ物が通るたびに傷口が痛む、というわけだ。この痛みは、3日以内にすぐに気にならなくなった。

放射線照射7回目以降、強烈にのどが痛く、身体が熱くなった

抗がん剤1回目が終わって退院したのが、2019年7月28日(日曜)だ。退院した翌日の29日(月曜)夕方から飲み込んだときにのどの痛みを感じた。29日は、放射線で予定している全20回照射の中で、まだ7回目を終えたところだ。翌30日にはのどが強烈に痛み、飲み込みにくい状況になってきた。

のどの痛みと同時に、身体全体が熱っぽく、のどが渇いた状況にもなった。風邪の引き始めの時のような身体の倦怠感が加わり、日ごろから飲んでいる野菜ジュースをがぶ飲みしたり、冷たいコーヒーが欲しくなるなど、身体が熱くなっている。なお、食欲はある。

放射線科で診察。「痛みはまだまだこれからです」

30日は、耳鳴りの確認のために耳鼻科、その後、放射線科の診察だった。

耳鼻科では、「鼓膜は綺麗」「聴力検査で8000デシベルが聞こえにくくなっているが、まぁ問題なし」「喉の痛みは耳鼻咽喉科に関係なし」とのことだった。

耳鳴りがあると伝えたが、「耳鳴りは原因がよくわかっていないんですよ」で終わった。

放射線科では、通常通り、放射線照射をして、その後診察。喉の痛みは放射線によるただれとのこと。なるほどと思いつつ、「まだまだこれからです」と言われてしまった。

カロナール(200mg)を痛み止めとして処方され、その後、起床時には2錠服用したこともあった。

放射線副作用によるのどの痛みは約50日間続いた。そして声が出なくなり、皮膚に赤みが出てきた。

結論から言えば、のどの痛みは、約50日間、9月15日まで続いた。換言すれば、7月末の痛みはまだ序の口だったということだ。

この頃は、痛みがあっても食べることができた。のどに食べ物が通っていたとも言える。痛み止めもカロナールで、それ以上の強い薬は出なかった。

このように、1回目の抗がん剤終了後、放射線照射によるのどの痛みがまず始まった。その後、「声が出なくなり」「のど付近の皮膚がただれて」「髪の毛が抜けちゃった」という感じで、副作用のオンパレードとなり、服用する薬も変わっていく。

声が出なくなる

2019年8月5日の昼頃、声が出ないことに気付いた。それまで、かすれ声ではあった。しかしこの日、急に出なくなった。声が出なくなった。

のど周辺に赤みが出てきた

8月12日(月曜)、照射16回目を終えたころ、のど周辺に赤みが出てきた。湿疹とは微妙に違う。火傷の極初期の頃だろうか。以下、12日と13日の比較写真だ。たったの一日で赤茶色くなった部分が、ただれ始めているのがわかる(記録のためであり、汚い画像で申し訳ない)。

8月12日
8月13日

それでも毎日、放射線科に通う日々

この頃は、日々、放射線科へ車で通っていた。時間は決まっていないので、再来受付機がクローズする寸前の夕方に到着という感じだ。病院横の駐車場係の男性とはもちろん顔見知りになったし、ほぼ真夏に近い日々が続き、車と言いながらもかなり顔が日焼けした。放射線焼けかもしれないが。

以下、この頃の予約票を参考までに。

放射線療法で毎日通院
放射線療法で毎日通院

今、思えば

当初、のどの痛みの原因は抗がん剤にあると思っていた。その頃は、放射線照射がまだ7回くらいだけだったからだ。30日に放射線科で、のどの痛みは放射線照射によるものと指摘され、あぁそうなのかと理解した。

この頃、吐き気や倦怠感などが抗がん剤の副作用というイメージがあったが、吐き気は皆無、わずかばかりの倦怠感も抗がん剤によるものか放射線によるものかわからなかった。

いずれにしても、ここから徐々に身体は変化していき、どの痛みや倦怠感が、何の原因なのか、わからなくなってくる。徐々に変化していくので、身体も慣れて、どの状態が以前の私の身体なのかもわからなくなってくる。何が何だかまったく分からなくなってくる感じだ

これが結構、キツイ。