いよいよ食道がんESD当日。それほど緊張もせず、絶飲食だったが空腹にもならなかった。かといってESDが楽しみというわけでもない。ただ、ESDのあと、食道あたりに痛みがあった。告知後、初めての痛み。このときは弱気になった。
ESDを無事に終えた
当日のスケジュール
昨晩の消灯後、蛍光灯は消すべきか否かと考えた。私の部屋ではすべて消されていたが、まぁ言われるまでは私は電灯を付けておこうか(生まれて初めての本格的な入院のため、すべて消灯することすら知らなかった私だ)。
さて、以下が2019年4月16日(火曜)のESDをやった一日のダイジェストだ。
2019年4月16日のスケジュール
- 前日は22時頃に寝た
- 6時前:起床、洗面等 8時過ぎ:トイレ 8時15分頃:パソコン仕事
- 11時頃:そろそろかと便所に行き、手術着に着替える
- 11時半:両親到着
- 13時頃:看護師に今、3人目で予定より早いと言われ、まだまだかと、がっくり
- 15時頃:看護師に呼ばれ、共に検査室へ
- その後、内視鏡検査同様の薬と麻酔薬を服用し、その後、ESD実施
- 17時頃:ストレッチャーに乗せられ動いた時点で眼が覚める
- 18時頃:両親と妻帰る
- 19時頃:食道付近に痛み。つばを飲み込むとかなり痛いので、痛み止めの点滴
呼ばれるまでが長い、15時にやっと呼ばれた
昨晩は、通常より2時間早い、22時頃には寝て、2、3回目覚めた。睡眠不足だったがこれでいい。「ESDをやっている間にぐっすり眠れて都合がいい」と考えていたからだ。
5時50分くらいにベッドから出た。その後、ひげそりや洗顔、整髪。6時過ぎに動いているのは私だけか?
一度、便所に行ったが出ずで、8時過ぎに行って快便。8時15分頃からパソコン仕事を談話室にて。8時に朝食だが、私は終日絶食だ。以下の入院診療計画書を午前中に手渡された。
両親が、11時半頃到着。
今回の件で一番きつかったは「生殺し」。いつになったら名前を呼ばれるのか。予定では午前中だったため、11時頃に「そろそろだろう」と便所に行ったり、着替えたりとそわそわしていたが、まぁ、呼ばれない。13時頃に「今、3人目です、早いほうです。」と言われてがっくりくる生殺し状態だ。
15時頃にやっと呼ばれる。両親が「帰るのが遅くなるから夕食を……。」と言っているのが聞こえるが、今はそこではないだろうと。妻はまだ来ない。
ESD開始、そして1時間ほどで終了
看護師に連れられどこに行くのかと思っていたら、いつもの内視鏡検査室だった。ちょっとした手術室をイメージしていたので残念。
内視鏡検査前に服用した薬や麻酔薬を今回も服用。「さて、いよいよか」と気合を入れたが、いつになっても手術室には呼ばれない。麻酔が切れるではないかと思いながら、やっと呼ばれた。
検査室入室後、慌ただしくいろいろと機器を装着。看護師は慌ただしく、先生方は談笑。緊張感はあるのか? いやあるのだろう。
いつになっても眠くならない。その後、「本格的に眠くなるのを入れます」と言われた。言われてから1分ほどして突如として口に内視鏡を差し込まれた。まぁ乱暴である。何度か吐き戻したが、お構いなしで続く。
その後、知らぬ間に寝たと思う。目覚めたときはストレッチャーで動かされたときだった。
ストレッチャーから横目で両親と妻を発見。17時過ぎだ。少し朦朧として、何が何だか、どこなのかがワンテンポ遅れる状態だった。
両親曰く、医師から切除した部位を見せられたとのこと。「なんで私には見せないのか」と思いつつ、18時頃、全員帰る。
19時頃からちょっと痛みが出る
現在19時15分。食道あたりが痛くなる。つばを飲み込むと痛みが広がる。痛み止めの点滴をしてもらう。眠気はない。
「今度、入院するときは体に不具合を覚えるとき。入院せざるを得ないほどしんどくなったときは、終わりの時かな」などとふと考えた。
隣の老夫婦、奥さんのおしゃべりがうるさい。
今、思えば
上述の最後の一文に、「今度、入院するときは体に不具合を覚えるとき。入院せざるを得ないほどしんどくなったときは、終わりの時かな。」と書いている。当時の日記を再掲したものだ。
ESD後の検査結果で外科手術か化学放射線療法いずれかをやるのだが、この時点では認識していない。そこまで理解していなかったし、その頃、「標準治療」なるものすらうろ覚えだった。