公開日:2019年4月15日 | 最終更新日:2024年2月1日

2019年4月15日(月曜)、食道がんのESDのため大学病院へ入院。告知されてから38日目に最初の入院で、かかりつけ医は早い方だと言っていた。私にとっては、救急で入院して以来、人生二度目の入院だ。

入院初日

朝食を食べ忘れた

今日は2019年4月15日(月曜)。7時に起床。9時に出発予定なので時間は十分。珍しく時間的に余裕があり、うれしい。

今、思えば、トーストを食べておけばよかった。やはり落ち着いていなかったのだろうか。忘れ物の確認後、9時に出発。その前に妻や子供たちが出かけたが普通と変わりなく。私の入院を忘れているかのようだ。

そういえば昨晩、次男はバイト。いつも通り夕食を温め、少し会話。「受け止められるかな」・「耐えられるかな」と彼が呟いた。

病室に無事、到着

9時45分には入退院センター到着。病棟の7階の730号室へ行けとの指示。

大部屋の左真ん中が私のベッドだった。暇な入院生活では大部屋の方が知り合いができて楽しいと思ったが、ベッド周辺は暗く、静かだ。すぐに眠気が襲ってきて10分ほど、うとうとした。その後、12時に昼食が来て10分程度で食べ終えた。うまかった。

昼食後も眠いが、談話室へ行って、12時半から14時15分までパソコン仕事(ナースセンター前の談話室は、これからほぼ私の部屋になる)。

明日の手術後からは2日程度は入れないため、14時半にシャワー。シャワー終了後、検査に呼ばれる。「体液量」なるものの計測だがあっという間に終わった。

やはりがん患者が多い病棟だった

部屋に戻った頃、隣の患者さんが「緩和ケアへの転院」を話していた。そういえば、ここはそういう人が集まる病室なのだと少し怖くなる。その後、薬剤師さんが薬の説明。まぁ、入れ代わり立ち代わりだ。

眠気はあるが15時15分頃からパソコン仕事再開。16時、眠いのでベッドへ。肩に力が入っているのを感じた。

夕方に主治医、来訪。顔を覚えてくれていた様子。若い先生も紹介された。

1時間程度は横になったと思う。18時前に便所へ。看護師交代。夕食、うまかった。食後に、若い先生が来て、ざざっと説明。若い先生にとっても、私はその他大勢の一人だろう、なんて感じた。

隣の患者さんが若い先生に、「78歳まで生きたから十分です」と言っているのが聞こえた。その通り、十分だと思った。

今、思えば

この頃、高齢者を見ると「そこまで生きたら十分だろう」と、常に思っていた。当時、私は53歳だったが、多くは私より20年以上、長生きしているわけだ。高齢者夫婦を見ると「幸せそうだな」と、感じていた。

告知後の心境の大きな変化がこれだった。換言すれば、「もう数年の命か」「もっと長生きしたい」と強く思っていたということだ。