昔から母は、耳鳴りがひどいとぼやいていた。まさか自分も食道がんの化学療法で耳鳴りに悩まされるとは想像するはずもなく、当時は、母に「そんなんでは死なないよ」といった感じで軽く受け流していた。まもなく2019年を終えようとしているが、抗がん剤の副作用である耳鳴りはまだまだ終わりを見せてくれない。
抗がん剤から7日目、耳鳴りが始まった
抗がん剤を終えて一週間ぶりに外に出たらセミの鳴き声。そこから始まった
2019年7月22日(月曜)から始まった抗がん剤。月曜朝10時頃から始まり、金曜の午前中まで、点滴に繋がれたままとなる。7月26日(金曜)の午前に久しぶりに外の空気を吸いに玄関を出た瞬間、セミの鳴き声が聞こえてきた。大合唱だった。夏だなと感じた。
窓を閉め切っている病室に戻っても、なぜか、まだセミの鳴き声がしている。おかしいな、と思いながらもその時はあまり気にしなかった。
しかし、夜になっても、セミの鳴き声がする。ここでやっと「あぁこれが耳鳴りというものか。まぁ抗がん剤も一回目が終わったし、耳鳴りもいつか終わるだろう」と考えたが、それで終わった。
だが、この日から、今に至るまで、もう4年近く、耳鳴りとは付き合っている。この文章を書きながらも、今も頭の中では何か高周波の音がしている。
最初は5日間で耳鳴りがおさまった
7月27日(土曜)から始まった耳鳴りは7月31日(水曜)までの5日間で終わった。「おぉ、もう終わったか耳鳴り」といった感じのあっけなさだった。この頃は耳鳴りよりも放射線療法の副作用で喉が強烈に痛く、意識はそちらに向いていた。
次に始まったのが2回目の抗がん剤の初日から。ここからずっと続いている
2回目の抗がん剤開始が2019年8月19日(月曜)。耳鳴りは初日から始まった。ただ、この頃は、抗がん剤による「便秘」、放射線療法の副作用で「声が出ない」状態で、前回同様、耳鳴りに意識は向かなかった。
耳鳴りのひどさは当初から強かった。ただ、重複になるが、放射線療法の副作用の方がさらにひどく、その頃、耳鳴りの優先順位は低かった。
今、思えば
耳鳴りが本格化し、あるいは、耳鳴りに意識が向いてから、やっと聴力検査などの耳鼻科の診断を受けた。聴力自体が年齢相応以上に落ちていたが、大学病院では、命に関係ないため大きく問題視しないのが現状だ。
もし、耳鳴り当初に何か対処していたら、今は変わっていたかもしれない。しかし、副作用は、「いつか終わるもの」と考えており、強い意識・危機感などは無かった。それよりも、治療一年目は、再発・転移への意識が比較にならないほど大きい。
この点については、こういうものだと納得しており、今も後悔は、まったくない。