公開日:2019年12月30日 | 最終更新日:2024年2月4日

2019年初春に食道がんを告知され、化学放射線療法の治療を晩夏に終えた。2019年末時点で、副作用はまだ残っているが、特別な一年を終えようとしている。そこで、がんになってから思うこと、やったことなどをまとめてみた。

私の50年以上の人生の中で、2019年は病院に最もお世話になった一年だった。

3月に食道がんと告知されてから、8月には食道がんステージⅠの化学放射線療法を一通り終えた。化学療法、放射線療法いずれも、まだまだ副作用は残っているが、2019年末時点で再発転移はない。

この一年間、いろいろと思うこと、やったことがあったが、少しまとめてみた。

人の痛みを初めて理解した

「便秘・耳鳴りがつらい」といったことを他人から聞いてはいたが、病気とは思えず、今までピンとこなかった。しかし、抗がん剤の副作用で自ら体験、経験した。

便秘も耳鳴りも相当キツイ。便秘は「出ない」という焦燥感、耳鳴りはそのものがキツイ。この文章を書きながらも耳の中は多彩な音が鳴り響いている。

誰かから「・・・がつらい、しんどい」と聞いても、深く考えずに「大丈夫、大丈夫」と安易に言っていた過去の自分を恥じる。

人の痛みというものをリアルに知った。これが、がんになって最もよかった経験だと考えている。

病気本来の痛みだけでなく、こころの痛みなど相手の痛みを一度、全身で感じ、一呼吸おいてから言葉を発する。そんなことを少しだけ意識できるようになった。

癌になる前よりも今のほうが健康?

この病気は、皮肉にも生活態度を安定させる。健全な食生活になって、体調管理もやって、さらには定期的な診察や検査を受けることになる。

今まで以上に健康に留意し、半年ごとに定期検査をやることが、他の病気の早期発見にも有効だと痛感し、実際にいろいろと見つかっている。これはこれで、私は長生きするかも、と何度も思った。

現在の検査機器の精度の高さで、極めて初期の病変らしきものが見つかることもあり、その結果に右往左往もするが、これは致し方が無いことだろう。まだまだ、どんな検査結果になるか不安げな自分が存在しているが、これも仕方がない。

いずれにせよ、数ヶ月ごとに自らの健康を省みるなんて、今までなかったのだから、ありがたいと思いたい。

今まで考えなかった、やらなかったことをやる時間を与えてくれた

この病気は、身体に何かが起きても、ある程度は考える時間を与えてくれる。また、状況が状況だけに日常では考えない、やらないことを結果的にさせてくれる。がんというものは、今まで考えなかったことを考えさせ、やらなかったことをやらせる。そんな時間を過ごした。

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私の場合、家族、特に妻に迷惑にならないようにデジタル関連のパスワードの一覧表をつくったり、かなりの量のモノを捨て、必要なモノの場所を明示する、いわゆる断捨離もやった。

こんなことは病気になる前には考えもしなかったことだ。

人生の引継ぎのようなものだが、やり終えてみれば、やるべきことだったと実感している。

縁起が悪いと言われるかもしれないが、がんに関係なく、事故で突然に亡くなったりした場合も、今では、少し安心して逝けると思っている。

この闘病記を書いた理由

よく言われることだが、人はいつの日か死ぬ。

がんになったために、50代という早い死になるか、あるいは治療によって80代までそれなりに生き延びるか。いずれの場合も、死は必然としてやってくる。しかし、人は、死の適齢期を迎えないと死について考えない。

換言すれば、適齢期云々に関係なく、がんになれば、必然である死を近い将来にあるものとして、現実として考えさせてくれる。

そこで、延命したいがために医療を受け、命は延ばされる。せっかく延びた時間をどう生きるかが重要なのだが、治療の過酷さや連続性に、日々の時間を費やし、結果として延びた時間をただ消費してしまう。

「どう生きるか」ではなく「どう治療するか、どうやって今日を終えるのか」の繰り返しとなって、今日一日という二度とない時間が治療に埋没してしまうわけだ。

私も、治療に埋没していた時期があった。副作用に耐えるだけの日々もあった。

そこには、せっかく治療して、治療に耐えて、延命できたのに、我慢するだけのボロボロな一日を過ごしていた自分がいた。

これが2019年の最大の反省点だ。

なぜこうなるのか。

最大の理由は、すべて初めての経験だったからだと思う。抗がん剤も放射線も、副作用もすべて初めてであり、いつ始まって、どの程度まで痛んで、いつ終わるかなどまったくわからない。そこには不安しかない。

そうなると、早く今日を終えて、明日を知りたいがために、今日を乗り切ることが最大の目的となる日々が続いてしまう。先が見えないからこうなってしまうのだ。

この点を2019年の今年は痛感した。

だからこそ、単なる一例に過ぎないが、私の経験をここまで公表し、一つの目安として参考にしてもらえれば、せっかく得られた延命の日々を有意義に過ごせるのではないかと考えている。

この闘病記が、誰かの参考になり、誰かの一日が闘病だけに埋没しない日になればと心から願う。