公開日:2022年8月23日 | 最終更新日:2023年12月16日

体験した人だけがわかることが多々書いてある

基本データ

2007年11月、人気作家を再びガンが襲った。

痛みに眠れぬ夜を過ごし、築地を見おろしてグルメを考察し、死を思い、生をふり返る日々。もっと、もっと書こう。

一行でも多く―告知から手術、退院までをかろやかに綴って、毎日を生きる勇気にあふれるエッセイ25篇。

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書名ガン病棟のピーターラビット
著者中島梓(作家)
出版社ポプラ社; 文庫版
発売日2015年1月2日
  • 患者氏名:中島梓(1953年頃生まれ)
  • 種類:膵臓がん
  • 発症年齢:55歳頃
  • 病歴概要:1990年から91年に乳がん。2007年10月頃に体調を崩し、黄疸が酷くなる。下部胆管癌の疑い(手術ですい臓がんと診断)で、12月20日に膵頭十二指腸切除手術を受ける。2008年1月19日に退院。昭和大学病院で抗がん剤による化学療法を3週間、その後通院。2008年4月に肝臓に転移が見つかる。
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最初にお読みください

このサイトの書評を初めて読む方は、「おススメ書籍の使い方をまず一読ください。

おススメ書籍の使い方 | がんケアネット

以下の文章には、「末期」・「死」などが含まれている場合があります。

おススメポイント

経験者だから書けることが多数。何度もうなずいて読んでいた私

中島梓は、2007年10月頃に体調を崩して黄疸が酷くなる。下部胆管癌の疑い(手術ですい臓がんと診断)で、12月20日に膵頭十二指腸切除手術を受け、2008年1月19日に退院した。この作品はこの退院後くらいから書かれた日記だ。

闘病記・日記ではなく、ガンという病気・告知の問題といったがんに関する思い、書くこと・読むこと・旦那さんのことといった人生に関するものなど幅広い内容で書かれている。エッセイに近いが、さすがに作家だけあって心にしみる文章がある。

お決まりの闘病記ではまったくなく、体験した人にしかわからないことが多々書いてあり、頷いて読んでいる自分がいた。オススメである。

※タイトルの「ピーターラビット」は著者の夫が実際にピーターラビットのぬいぐるみを買ってきてずっと病室において著者を見守っていた。

なお、2008年9月5日から2009年5月17日に昏睡状態になるまでの8ヶ月間、書き続けた日記が「転移」だ。こちらも書評を書いているのでご一読いただきたい。

あわせて読みたい

こんな方へ

  • 家族や身内に患者がいる方
  • 家族の死後、どんな気持ちになるかいかに
  • 家族の死後、どのように生きるかを知りたい方

一部抜粋

以下、下線は私自身によるものです。

男性諸氏は入院中に身なりを綺麗にしよう

しかし全体にどうも「女の人の方が病院ではしっかりしている」、というのはまぬかれないみたいで、男性というのは、グタグタになっちゃってる人というのはもう本当に「何もかも嫌」みたいになったってるし、身なりに構わないおじさんというのはもう本当に構わないのがはっきりしてるしーあれはまあでも、きっと「無精ヒゲ」というものがあるから、かなり割り引いて考えてあげないと、どちらにせよ女性より「うすぎたなめ」になりやすい生物なんですかね。 

だからそのなかで、ぱりっとした自前のパジャマを着て、格好いいびろうどのガウンを着てさささっと散歩している、背筋の伸びたシルバーグレイのオジサマを見ると、「ああ、これはおじさんではなくて『おじさま』だなあ」という感慨に打たれてしまうのでした。

引用:p110- 機嫌の悪いおじさんたち 2008年1月22日

輸液ポンプのコードを抜いたり入れたり、面倒だった

おかげで点滴の輸液ポンプもなくなり、むろんだいぶ前にある24時間吸引のポンプもなくなり、このポンプがなくなったのはとてもでかいことで、点滴の輸液ポンプはコードで繋がれているので、むろんそれを引き抜いてもバッテリーがあるんだけど、お散歩していてもバッテリー減るのを気にするし、トイレにゆくにもまずコード抜いてから、戻ってきてコード入れたかな、よしみたいな、つねに「ひもつき」状態だったわけで、点滴抜いたら、まだ点滴台はあるんだけど、その点滴台が軽いこと、身軽なこと

引用:p159- 管人間からの生還 2008年1月13日

「もう二度としたくない」という気持ちもよくわかる

何も知らないから何とかがむしゃらに手術を受けて、でもってそのあとの辛い術後期間にも耐えられたけれども、もしこれが、「大体どういう展開になるか」知っていてやるんだったら、それでも、再入院して再手術、する気になるかどうか。

いまの私の意識では「たとえいのちが助かるためでも、これと同じ手術(内臓いろいろとっちゃったんだから、厳密に同じ手術はもうできないわけですが)はもう二度としたくない」というのが、とても正直なところだなぁ。

引用:p160- 管人間からの生還 2008年1月13日

「元気な人が怖い」:病人のときはその通り

(手術、そして退院後、外来へ向かうときに)

向こうから「元気な人」がやってくるとそれだけですごく怖いのです。これは乳がんのとき、手術後に外出した時も最初のうち、「街を歩いている元気な人」がみんな、自分に向かって殺到してくるダンプカーみたいに見えて、怖くて怖くてどうにもならなかったものでした。

(中略)

特に怖いのは子供と自転車。この怖さというのは、そうやってからだが不自由になったことのある人にしか理解してもらえないでしょうね。一時的にせよ、ずっとにせよ一回でも、そうやって「健康人が怖い」と思った人にしか。逆に言えば、だから、そういうことになったことのない、とりあえず健康できてしまった人、というのが、怖いのです。”

引用:p116-

残りの時間を見つめて思うこと

私もやっぱり、あと五年のうちに死ぬなら死んでもいい。それはもう、寿命を与えてもらえるのなら、十年生かしてもらえれば十年分生きようと思う。

もし万一、二十年の寿命をもらえるなら、二十年分、書き続けようと思いますけれども、小説を書けていてこその私、もし私が何もわからなくなり、小説も書けなくなったら、それはもう「私が生きている」とは、私に関する限り、云えないのです。”

引用:p219- 生きてゆく 2008年2月17日

やっぱりもっと生きたいなぁ

でもそれで、もっとライブやりたいなぁ、もっとピアノ弾きたいなぁ、もっと着物着たいなぁ、もっと小説書きたいなぁ、もっとヤオイ書きたいなぁ、ととても思います。

「神様、どうか、やっぱりもうちょっと、せめてあと十年生かしておいてください」と夜中にそっと祈ったり、お腹をおさえてそこにいるはずのガンたちに向かって「私が死んだらお前らも死んじゃうんだから、おとなしくそこに居なさい。追い出したりやっつけたりしないから、おとなしくして私と一緒にもうちょっと生きていなさい」と話しかけたりすることもあります。

引用:p236-

闘病中に、ゆっくりと噛みしめながら読んでほしい