公開日:2022年8月25日 | 最終更新日:2023年12月19日

ひとりの作家の最期の闘病記

基本データ

2009年5月26日、栗本薫=中島梓氏が、56歳の生涯を閉じた。

2008年、すい臓がんが肝臓に転移し、抗がん治療をしながら、大ベストセラー「グインサーガ」や「東京サーガ」シリーズを精力的に執筆し続けた。その合間に最期の闘病記となる本書を2008年9月から2009年5月の意識を失う直前まで書き続けた。

天才作家であり、主婦であり、母であった一人の女性の闘病の日々を克明に描いた命の証。

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書名転移
著者中島梓(作家)
出版社朝日新聞出版
発売日2009年11月20日
  • 患者氏名:中島梓(1953年頃生まれ)
  • 種類:膵臓がん
  • 発症年齢:55歳頃
  • 病歴概要:1990年から91年に乳がん。2007年10月頃に体調を崩して黄疸が酷くなる。下部胆管癌の疑い(手術ですい臓がんと診断)で、国立がんセンター中央病院で12月20日に膵頭十二指腸切除手術を受ける。2008年1月19日に退院。昭和大学病院で抗がん剤による化学療法を3週間、その後通院。2008年4月に肝臓に転移が見つかる。
  • タグ・ジャンル

以下の文章には、「末期」・「死」などが含まれている場合があります。

おススメポイント

著者の8ヶ月間の心と体の記録

作家 中島梓、2009年5月26日永眠。

2008年9月5日から始まり、2009年5月17日に昏睡状態になるまでの8ヶ月間を綴ったもの。

闘病日記ではなく、日常の日記だが、かなり読み応えがある。

下記の一部抜粋にもまとめたが、体調の悪化や気分の浮き沈みなど、死に近づくにつれての変化が日記の後半に強く読み取れていく。

一つ前の書籍があります

著者は、2007年10月頃に体調を崩し、12月20日に膵頭十二指腸切除手術を受け、2008年1月19日に退院している。この退院後から書かれたのが「ガン病棟のピーターラビット」だ。本書は、その後の2008年9月から書かれたもの。

こんな方へ

  • 家族や身内に患者がいる方
  • 家族の死後、どんな気持ちになるかいかに
  • 家族の死後、どのように生きるかを知りたい方

一部抜粋

下線は、私自身によるものです。

自分の書きたいことを書かなくてはいけない(2008年10月21日)

それにしてもやっぱりグインは面白い。書いていて、満ち足りた思いになる。人がどう思うのかは知らない。

この間の「幻影城」のパーティの知らないおじさんのように「くどい」とか「しつこい、繰り返しが多」と思う人もいるのかもしれないが、その人のお気にいるようにはしょせん私は書かないし、書くつもりもない。そういう人のために残り少ない命を生きているわけではないのだ。

書いていてこの満足感と幸せを味わうために、好きな人たちと一緒にいて、その人たちの運命を見届け、自分の手でその先を紡ぐ楽しみのために書いているのだ。やはり自分の書きたいことを書かなくてはいけないのだ、と思う。

引用:p59

生きる意欲が上下する(2009年1月15日)

時々、音を立てて「生きる意欲」がなえてゆくのが分かる気がすることがある。何が直接のきっかけ、というわけでもない。

大体食事がらみのことが多いけれども、「誰も理解してくれない」と感じるときとか、「もうこれ以上の重荷に耐えてゆけない」と思うときとか、「誰一人私の背負っているものに同情してくれない」と思ったりーからだがだるくて、夕食の支度をしなくては、と思ってー誰も何も手助け一つしてくれないのだ、と思うときに、「まあもう、長くなくてもいいか」とふーっと水底に吸い込まれるように思う

そうかと思うと、息子にもっと、たくさん好きな美味しいものを食べさせてやりたい、旦那に孤独な老後を送らせたくない、翔さんが私がいなくなったらどんなにショックを受けるだろう、と思ったりするときには「生きなくては」と強く思ったりするのだが。

その繰り返しのはざまのように、波がやってくる。今日は悪い方の波だ。

引用:p138

気力がなえてきた(2009年4月1日)

じっさい、こんなからだになってしまっては、もう駄目だ、駄目だ、という感じがする。

だんだんと、気力がなえてきてしまって、毎日の細かな記録も2日に一度、3日に一度まとめてするようになってしまう。そうなると、何を食べたかだの、何をしたかだの、具体的なことをすぐ忘れてしまっていることに気付く。そうやってだんだん、ぼーっとなって、ひたすら寝ているようになってしまうのだろうか。

からだだけではなく、気力の方も相当にダメージを受け始めているみたいで、このしばらくグインもヤヨイも書いていないが(3月末に、アニプレックスに渡すグインの短編40枚だけは2日で書いたが)そのことにあんまりやきもきしなくなっている、というより、出来なくなっている。

引用:p216

記録も本も書けなくなってきた(2009年5月2日)

どうやら完全に鬱に入ってしまったらしい。

(中略)

発狂しそうになってしまったので、息子に電話して、こちらに来てもらっていろいろと話をし、また病院の旦那に電話してケアしてもらってやっと落ち着いたが、そのストレスがかなりものだったらしく、今度は全身がだるくて痛くてもうどうにもならない。

(中略)

これはもうもともとの気質やらなんやらでいまにはじまったことではないが、私はとにかく世の中の人よりも相当テンションが低いらしい、ということは自覚している。それが病気になってますます低くなってきて、もう大きな音にも荒々しい声にも動作にも、乱暴な口の利きようにも、甲高いこれにもけたたましい動作にも何にも耐えられない。

きっとどこかが壊れてしまったのだろう。最終的にはプルーストのように「コルクの部屋」に閉じこもっているほかはない。

(中略)

ある種の人間にとっては、「普通の世の中にいること」そのものが耐えられないことなのだろう。もうそうなってしまったなら仕方がないから、そうやって籠で運ばれて安全な檻に入れられるハムスターのように生きてゆくほかはない。

ただ、いまはその飼育係がいないからパニックになっている、というだけのことだ。それでも、がんを抱えたまま、苦しくても転げまわるほどでない程度で何とか生きてゆかれる。それだけでも、きっとまだまだ私は幸せな方なのだろう。そう思わなくては生きてゆかれなくなってしまう。事実、今朝などは、もし高いところに部屋があったら突発的に飛び降りていたかもしれないな、と思う。ちょっとは、依存から脱却しなくては。

引用:p275

著者は、この数日後から熱が下がらず、5月7日に入院、5月12日が最後のタイピングでの日記、15日・16日と手書きの日記、5月17日に昏睡状態となり、5月26日に永眠。

この書籍の目次

  • プロローグ
  • 2008年9月、2008年10月、といった形で、2008年9月から2009年5月までそれぞれが章立て
  • 巻末に、栗本薫/中島梓 全仕事

最後に近づくにつれ、こころとからだの変化が強く読み取れる