公開日:2022年7月31日 | 最終更新日:2023年12月17日

じたばたするな、がんばるな、ほどほどに。でも、自分で決断して自分で治せ

基本データ

元ソニー・ミュージック社長 “ロックの丸さん”が末期がんに! 余命数か月! ?

「ラッキーな人生だったから、 まあいっか(笑)」ドリカム、佐野元春らを世にだし「ロックの丸さん」と親しまれる丸山茂雄氏が、突然、末期がん宣告を受けた。人生を振り返った著者は、「ラッキーな人生だったから、まあいっか」との結論に。そこから始まる「じたばたしない」がん闘病記。前向きに生きてきた著者が語る、人生との折り合いのつけ方。

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書名往生際―――“いい加減な人生”との折り合いのつけ方
著者丸山茂雄
出版社ダイヤモンド社
発売日2013年11月29日
  • 患者氏名:丸山茂雄
  • 種類:食道がん
  • 発症年齢:66歳頃
  • 病歴概要:2007年11月にイタリア料理店で食事中に喉のつかえがあり、がんに気付いた。ステージⅣで化学放射線療法を行う。2011年5月にリンパ転移が見つかり、再度、化学放射線療法を行った。
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最初にお読みください

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以下の文章には、「末期」・「死」などが含まれている場合があります。

おススメポイント

がんに対する著者独自の考え方 かなり説得力がある

食道がんと診断された後の闘病記だが、著者の人生や生き様、特にがんと命に対する考え方は興味深かった。

独特の語り口に心が落ち着くというか、説得力があるというか。下記の「一部抜粋」を一読いただきたい。

こんな方へ

  • 治療中、あるいは治療がひと段落して、これからを考えるときに
  • がんとの向き合い方を探している方に

一部抜粋

下線は、私自身によるものです。

ダメだよ、そんなにがんばったら

知り合いの奥さんががんになってね。その奥さんパニックになって、ああだ、こうだ、いろんな治療をやって、もうぼろぼろになってこのあいだ亡くなったのよ。まだ歳が六○ちょっとで、若かったというのはあるんだけど。治療がすごい難しい、胆管がんだったの。それが肺に転移して。

つまり、あまりに「生きたい、生き続けたい」という意欲が強すぎるよね。その気持ちはわかるんだけど、そうすると、ものすごく治療の種類と量が多くなってしまうんだよな。じたばたしてしまうんだ。必死でいろいろ調べて、苦しい治療に耐えてがんばって、最後にはぼろぼろになって、亡くなってしまう。

じたばたしたあげくに、心身ともに苦しんでしまうんだよね。どうして苦しむことになってしまうかは、今の医療の問題もあるから、あとの章でも追って説明をするけれど、「じたばたしたほうがいいですよ」なんてことは医者以外、誰も言ってないのに、なんか知らないけどがんばるのが美談風になって、テレビドラマみたいになるからみんながんばってしまうじゃない。

ダメだよ、そんなにがんばったら。そんなにドラマの主人公になりたいのかな。治療も、「まあ適当だな~」っていうのがおれはいちばんいいと思うよ。四〇代で、子どもがまだ、小学生だとか中学生だと、なかなかそういう気持ちになるのは難しいと思うけど。父親、母親というのは、どうしたって子どもがある程度成長するまで、できれば成人になるまでは見てやりたいという気持ちがあるから。人生観って一個じゃないからね。年齢によって変わるわけだから。おれだって四五ぐらいで、まだ子どもが高校生か、中学生ぐらいだったら、「ちょっとまずいよなあ」って、なんとか生き延びる方法考えなきゃいけないと思った可能性あるよ。

結局、この病気は死ぬまでに時間の余裕があるのがいかんのだよね、考えてしまうから。そして、治療をしてしまうから。でも、ある程度年齢のいった人は、まあ、贅沢言っちゃダメだよな。人生、ほどほど。そうすると、治療を際限なくやるということはなくなるのよ。 ただ、おれは「じたばたしないほうが気楽だよ」とは言いたいけど、「じたばたするのが間違いである」と言う気はない。人それぞれだもの。

p60-62

今までの同じように生きる。がんになって突然、真面目になるな、ほどほどがいい

「人生ほどほど」が大事という、こればっかりは、元気なうちにたくさん説教しておかないとダメなのよ。

がんは一九八一年から日本人の死亡原因の一位になって、今は、毎年一○○万人の人ががんにかかって、三五万人近くが亡くなっているの。だからがんにかかるということは、突然我が身を襲った偶然の不幸ということじゃなくて、人生の途中で必ず遭遇する必然、くらいに思っておいたほうがいいのよ。

そうすると、がんに関する勉強や心がまえは、がんになる前からしておいたほうがいいと思えてくるでしょ。人生についても、だいたいどの程度で折り合いをつけるかというのを考えておくのも、病気になる前にしておいたほうがいいの。がんは人生観の病気というか、人としての生き方の問題がものすごく密接に結びつくからね。

生き方も、折り合いのつけ方も、まあ適当でいいんじゃないかな。適当なおれが言うのもなんだけど、まじめなのは苦しくなるよ。しかもそんなにまじめに生きてきたように見えないのに、最後になってまじめな顔して、人生に折り合いをつけようとしたり、がんと闘ったりする人が周りにたくさんいるから、おれとしても納得できないんだよ。

p63

最後になって急に満点の人生にもっていく必要はない

人生の初めには理想や目標がいろいろあるのに、やがて「そんなこと考えなくてもいいんだ」っていうのがわかってくる。そしてそれが人としての成長だという、すごく不思議な関係でしょ。みんなわりと口に出さないで、生き方のハードル下げてるよね。

で、その下げたところで納得してきてるわけだから。「おれの能力こんなもんかあ。もっと努力したほうがよかったかもしんないけど、遊びたくて勉強もしなかったし、酒も飲んだし」とかね(笑)。そうすると「まあ、だからこそ楽しかったし、こんなとこかな」ってのでいいじゃない。結婚して家庭つくるのも、それこそ女の子は、白馬に乗った王子様が来るって思ってたんだろうけど、そうじゃなくて、今のダンナが来ちゃったわけじゃない。王子様と比べたら、大幅に目標値下げてるよな。でも本人が納得できていればそれでいいわけで、人にとやかく言われる筋合いはない。それが王子様の設定のままで、ずーっと夢見ていたら納得できなくてしんどいわけでしょ? だから、現実に気づいたら、目標値を早めに下げるっていうのも、悪くないかな(笑)。おれなんか早めに下げちゃったからね。高校生のときにすでに、目標値をクリアするのはとんでもなくハードル高いなと思って。だから人と争わないフィールドに行くしかないと考えて、以来、基本的には競争の激しいところには行ってないの。

まあ、ほとんどの人はそんなふうに、なんとなく目標値下げては納得しながら、そこそこいいかげんに生きてきたのに、死ぬ間際になると急に、ものすごく真剣に生き続けようとするじゃない。なにも最後になって急に満点の人生にもっていく必要はないでしょ。今まで妥協することなく生きてきましたというのなら、しょうがないよ。最後も理想どおり終わりたいというのがあるだろうけれど、たいていの人は「まあいっか」って、人生きてるわけじゃない。

でもそれは悪いことじゃないよね。そうしたら死ぬときもそんなものでいいじゃない。

最後になって急に、「病気を克服して長生きする」なんていう理想を掲げて、あらゆる医療方法を試そうとするよね、みんな。最高の医療を受けることにやっきになるのは入試直前に急に家庭教師を呼んで、それもふたりも三人も呼んで、無理に詰め込んでいい点取って合格しようっていうのに近いだろ。

有名人のみなさんも、最高の医療を受けるでしょ。自分の意志か周りの人間の望みかは知らないけれど。それでお医者さんもおそらく張り切る。でもたいていは、いったん克服した、という報道が出てそのあと亡くなるまでは驚くほど早いよね。誰かが無理をした結果かもしれないでしょ。

だから「そんな無理しなさんな」ってことだよね。有名人はともかく、ふつうの人は生きてくとき適当だったんだから、治療もそこそこ、死ぬときも適当でいいんじゃない? っておれなんか思っちゃうよね。

この部分だけはみんなに声を大にして言いたいなあ。「急に最後にまじめになんなよ」って。家族や周りの人間もそう。がんばって親を助けたいとか、妻をなんとしてでも治したいとかいうのは、おれは変だと思ってんだよね。これまではお互い、人生のあらゆる局面で、ある程度妥協してきたわけなんだから、突然無理を強いなさんな、だよな。

それは理想的には長生きしたほうがいいのかもしれないけど、これまで生きてきたなかではハードル下げてんだから、生き死にに関してもそうすればいいじゃない。なんで生き死にだけ急に設定した理想や目標のままやらなきゃいけないのかっていうのが、おれとしてはわからないのよ。自分なりに納得できさえすれば、目標値を下げてかまわないと思っているわけ。そうすれば、心身ともにおだやかな死を迎えることができると思うよ、本人も周りも。

p64-67

みんな誰かに決めてもらいたい。でも決断するべき

病気は、まず診断を して、治療するものでしょ。その診断が正しいかどうかというのは、ひとつの重要なポイントだよね。正しい診断が下されたら、今はこの方法がいちばんいいという、確立された治療法があって、さらにはその治療法を上手にできるかどうかという、お医者さんの腕があるよね。そんなふうに確立された治療法で、それがいちばん上手な人というのは、データで出てくるわけだよ。あるいは、「こういう薬を使ったらばほぼ治りますよ」っていうデータがある場合は、「じゃあその薬でお願いします」という判断でいいの。

でもがんの場合は、まず最初にわかってないといけないのは、「こうすれば必ず治る」というのがないということ。患者はまず、それを知っておいたほうがいいよね。そうすると、お医者さんの言うことを鵜呑みにすることはできないということがはっきりするわけ。

だからがんにかかったら、結局どのお医者さんに自分の命預けるかといったら、単純に言えば、データがないから、判断ではなくて決断のほうになるのよ。診断もあやふやな場合が多いし、「この薬使っても、治るかどうかわかりません」というのが基本だよね、がんはみんな。「治った人もなかにはいますけど」という話で、データがないんだから。その薬をとりあえずやってみようというのは、判断ではなく、決断だよね。

で、その決断がうまくいかないってこともある。というより、ほとんどうまくいかないよね。

お医者さんは病状や治療法を説明してくれるけれど、必ず自分の得意なほうをやらせたがるから、患者は誘導されてしまう。お医者さんがいくらすすめたからといって、お医者さんの言っていることが正しいわけではないのよ、がんという病気に関しては。

でも、あとになって「違うじゃない」って文句言われてもかなわないから、最近はお医者さんも「これはデータがないんだから、自分で決断してくれないと、私たちは決めるわけにいかないですよ」と言ってるわけだよね。

「あなたはがんです」って言われてショックを受けてるところに、追い打ちをかけるように「私たちはメニューは出しますけど、治す方法を持っているわけでありません。だから自分で選んでください。でもまあだいたいはダメでしょう」という、ずいぶん深刻な話をされるわけよ。

それはみんなパニックになるわな。

で、「どうぞセカンドオピニオンをとってください」と言う。それは実のところ、お医者さんも自信がないから。セカンドオピニオンをとるということは、そういう意味だということを、医者は言わないけれど。

でもそのセカンドオピニオンだって、正しいことを言ってくれるかというと、そういうわけではなくて、そのセカンドオピニオンを出す医者の専門分野のコメントを言ってくれるだけの話だから、正しいとか正しくないということではないんだよね。ここなのよ、最大の問題は。だけどみんな誰かに決めてもらいたいわけ。

そうなると、また人生を振り返る話になるんだけど、「じゃああなたはいったいどういう人生を送ってきたんですか」だよな。親や上司の言いなりになる人生を送ってきて、それでまあよかったと思うのなら、同じように医者の言いなりになればいいじゃない。それで本人が納得できるのだったら。

おれは昔から上司の言いなりになりたくないし、比較的、全部自分で決めなきゃいけないと思っていた。だからその都度、判断ではなくて決断だよね。でも、そんな決断正しいかどうかいつだってわからないわけだもん。そうするとそこのところで、おれの姉が見舞いに来て言ったみたいに「運がいいんだから、おれが決めたことは、うまくいくかもしれない」と思えるかどうかだろ。おれはそういうふうに思えるから、決断してしまうわけよ。決断の根拠は何かといった、「データがない」(笑)。

人生でそんなふうに決断しなければいけない問題はまま起きるものだし、たぶんいちばん厳しい決断を迫られるときが、人生の最後に来るわけじゃない。判断じゃなくて決断を迫られるときが。

でもなんとなくみんな決断するのがイヤだから判断でいきたいわけでしょ。甘い!

あとで説明するけど、死ぬということはおれから言わせれば、遺伝子のなかにプログラムされているんだから、幸いにして交通事故にあわないで、赤痢にもポリオにもかからないで、豊かな日本に生まれたおかげで栄養失調にもならなくて、テロにもあわないで、あるところまで生きてこれたとすると、最後はがんで死ぬしかないのよ。乱暴に言えば、がんで死ぬしか方法がないんだから。

ということは全員が、この決断を迫られてしまうわけじゃない。だったら人間としての必修科目として、「がんとはなんなのか」という本を五冊くらい読んでおかないと。まあ、おれも最初の治療がうまくいって、初めて本を読んだのだけど、丸山ワクチンのことがあったから、現状はだいたい知っていたからね。今は、あらゆる雑誌や新聞なんかに、がんについてのいろんなことが書いてあるから、それを読んでおけば、まったくゼロということにはならなくて、いいんじゃない。

ただ、「がんです」って言われたときに、そういうのが全部ぽーんと飛んでしまう可能性がある。あわててしまって。で、「どうしよう、どうしよう」って、急にお医者さんを頼ってしまうことになる。せっかく頭に入っていた知識がだいなしだよね。

だから、医者に頼る前に「今まで読んだのどうだっけ? 忘れてしまっているから、二、三冊買って読んでみよう、最低一冊、まず読まなきゃ」というぐらいは、冷静になっていたほうがいいよね。自分で納得できる決断をするために。

p70-74

誰かに治してもらうのではなく、自分で治す。だから、わがままであれ

現代医学は治すということに関してものすごく貪欲でしょ。患者も医者も。だって乱暴に言えば、壊れた心臓やら、壊れた腎藏を、みんな部品取っ替えるように取っ替えてしまう、ということさえ成立しているわけじゃない。

だから「完全に治る」という信仰があるわけだよね。全部取り替えれば、永遠に生きてるんじゃないかというふうにさえ思い始めてるふしがあるでしょ。自動車じゃあるまいし。美容整形でも、顔から体から、どこもかしこも全部改造するようなことをして、変だとも思わない時代になっているから、自分が病気で死ぬということが、想像できなくなっているの。おれだってがんになるまで、リアルに死を意識したことはなかったもの。

自分の命が助かると思い込んでるのと同じ文脈上にあると思うんだけど、「誰かに治してもらう」ってみんな思ってるじゃない。でも、「治してもらう」ではなくて、やっぱり「自分で全部責任とって、自分で治す」という気持ちにならないと、ダメなんじゃないかな。厳密に言えば、治らないにしても、少なくとも日々を気分よく過ごす状況を自分でつくるということ。

気分悪いかどうかってお医者さんにはわからないんだもの。体が痛いとか、吐き気がするとかいうのは。医者は患者のつらさを絶対に共有できないから、いくら患者がずっと苦しんでいても、訴えないかぎりわからない。

気分よくやるためには自分の意思を通さないと。QOL(生活の質)保つのなんて全部自分でやらなきゃ、他人は自分の気持ちよさをつくってくれはしないよ。

「丸さん、わがままだから」って言われるけど、それはそうだよね。やっぱりわがまま言うほど自分の意思を貫かないと、なんだって自分のやりたいようにはならないよ。

p192-194

この書籍の目次

はじめに

第1章 明るいがんとの共存記

第2章 ポイントは直観力と”ほどほど”

第3章 「傍流」は小さい土俵で~がんになるまでの仕事~

第4章 親父と、親父のワクチン

第5章 まか不思議ながん治療現場と医者業界

第6章 老人には過酷なくらい働いています

第7章 再発しました

おわりに

ガンへの心構えについて教えられること多数ある書籍