公開日:2019年3月31日 | 最終更新日:2023年12月24日

食道がん告知から一ヶ月近くが経過した。「やっと一ヶ月」でもなく「もう一ヶ月」でもない。「濃い一ヶ月」・「非日常的な一ヶ月」という感じだった。ただ、食道がんのステージがまだ不明のため、やることは限られていたと共に、まだまだがん患者としては「新人」だった。

いつもの一ヶ月ではなかった。これは確かだ

医師からの電話から23日が経過

2019年3月9日(土曜)の13時頃に、医師から食道に腫瘍が見つかりましたと言われた(定期健康診断、そして食道に腫瘍が見つかった )。その日をスタートとすると、3月31日は、23日目となる。

例年、この時期は年度末であり、どこでも誰でも忙しい。私も通常通りの忙しさはあったが、そこに「食道がん」が加わった。ただ、検査も含めて通院したのは2回だけ。「そんなに深くはないであろう腫瘍」と言われただけで、現時点では何の確定要素もない。

やれることは限られていたが、やったこと

ここまでの時点でやったことは以下の通りだ。

  • 3月15日(告知から6日目):かかりつけ医に報告した
  • 3月19日(同10日目):両親へ伝えた
  • 3月20日(同11日目):かかりつけの眼科医に報告した
やれることはやった

ステージが確定していない段階でできることはこれくらいではないだろうか。仕事は通常通りで、何の変化もない。

ウェブ検索すると、食道がんステージⅡの生存率(2019年のウェブ検索結果)が53%。考えようによっては、2人に1人は死ぬ。その時点でウェブ検索は怖くなって、この時期は一時、中断していた。

精神的には、落ち込むときは落ち込んでいたと思う。3月18日の日記には、嫌な夢を見たようで、次のように書いている。

妻が喪服、子供たちも喪服、長男が私の遺影、そんな夢をみました。負のループが始まると止まらない。

3月18日の私の日記から

普通にがんを恐れ、できる限りの生活を維持した。いたって普通の新人のがん患者だと思う。さて、あと2日後の4月2日には最初の検査結果がわかる。吉と出るか凶と出るか、考えても仕方がないと、理解はしているが、どうしても考えてしまう。

今、思えば

まだまだ不確定要素が多く、必要以上にウェブ検索することや怖がることを意識的にやめていた。ただ、落ち込むときは落ち込んだが、今思えば、肉体的な痛みが皆無なので、新人がん患者にはそれだけでもありがたかったと思う。

がんになって最初の頃は、神経質になって当然であり、数年が経過した今だからこそ私も言えるのだが、当時は落ち着きのない男にしか見えなかっただろう。

両親、そしてかかりつけ医にはこの時期に知らせておくのが一番だと思う。詳細がわかればその後、随時、報告するだけになる。