「これだけは言いたい! 12のこと」必読
基本データ
緩和ケアに携わる身でありながら、萩原健一さんの命を奪ったのと同じ希少がんを患った医師、大橋洋平さん。
初めて「患者として」実感した苦しみや気付きを朝日新聞に投稿し、大反響を呼んだ。消化液の逆流で一晩中椅子に座って眠ることを余儀なくされる地獄の日々。スプーン1杯しか食べられず、100キロあった体重が40キロ減って愛妻に当たってしまったこと……
過酷な闘病と医学書には決して出てこない患者の真実を、得がたいユーモアを交えて明かす書き下ろし手記。
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書名 | 緩和ケア医が、がんになって |
著者 | 大橋洋平(医師) |
出版社 | 双葉社 |
発売日 | 2019年8月21日 |
- 患者氏名:大橋洋平(1963年頃生まれ)
- 種類:ジスト(消化管間質腫瘍)
- 発症年齢:55歳頃
- 病歴概要:2018年6月4日:前日3日夜、吐き気、みぞおちが張っていた。4日早朝にタール便。その日に勤務先の病院での胃カメラで腫瘍が見つかる。そのまま入院。6月5日:CT検査で、胃に10センチほどの腫瘍。手術、その後、化学療法を行う。2019年4月8日、肝臓に転移が見つかる。
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最初にお読みください
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おススメ書籍の使い方 | がんケアネット以下の文章には、「末期」・「死」などが含まれている場合があります。
おススメポイント
こころに刺さるポイントが多い
内科医として、緩和ケア医として現場を走り回っていた著者。突然のタール便でそのまま入院。CT検査で、胃に10センチほどの腫瘍が見つかり、稀少がんであるジスト(消化管間質腫瘍)と診断された。
本著は、自覚症状から検査、手術、退院、抗がん剤、そしてがん患者となってこそわかる痛みや辛さを語る。
闘病記自体は、面白おかしく語る文体だが、随所に光る表現がある。特に、医師でありながらがん患者として、そして家族の一人としての経験から得た12個のポイント「「第五章「患者風」吹かせて~これだけは言いたい! 12のこと」は、必読。
このような方、このような時に
- あらゆるがん患者と家族の方々に
- 痛みや副作用をどのようにとらえるか知りたい
以下、下線は私自身によるものです。
一部抜粋
今日から生きた日を数える
そこで、私はこう考えた。余命に意識を向けるのではなく、今日から過ごせた日を数えて生きていこうと。
引き算ではなく、足し算で。そうすれば今日、明日、明後日と過ごすにつれて、その日は一日、また一日と増えていく。
増えていくことは、私にとってとてもうれしい。言わずもがな、貯金もしかり。
p181
とにかくしぶとく生きよう
ただ、終末期において、心身ともにだんだんと弱ってきている状態で、よりよく、自分らしく、そうそう生きられるものではない。
そんな堅苦しいことは捨て去って、カッコなんかつけずに、わがままに、超自己中に生きていけばいい。患者風を大いに吹かせよう。
とにかく、しぶとく生きていこうではないか。私もそうするから。
p197
食べることをあきらめた途端に食べられた
最初の抗がん剤治療が開始された当初は、食べることは生きること、生きるためには食べなきゃと、食に執着していた。
食事をとって体力をつけなければ、抗がん剤も効かない、抗がん剤が効かなければ、ジストは進行してしまうと、焦ってもいた。焦れば焦るほど、さらに食べられなくなった。
そこで発想を変えて、今までのように食べること、食べようとすることを思い切ってあきらめた。すると、不思議なことに少々食べられるようになり始めた。
p240
読後の私のメモ
第一章 発病
自覚症状から、すぐに入院し、検査、手術、退院まで。
- 2018年6月4日:前日3日夜、吐き気、みぞおちが張っていた。4日早朝にタール便。その日に勤務先の病院での胃カメラで腫瘍が見つかる。そのまま入院
- 6月5日:CT検査で、胃に10センチほどの腫瘍
- 6月15日:手術
- 6月27日:24日間の入院を終える
第二章 緩和ケア医を目指すまで
高校生の頃から大学入学、内科医としての医師生活、そして緩和ケア医となった。
第三章 闘病
退院、病名確定、抗がん剤、食べられない日々、新聞取材。途中で奥様の手記も。
- 退院後、20kg痩せて85kgとなった。
- 術後の不調(お腹が張る、下痢が発生する、体重が減る、消化液が逆流する)、抗がん剤の副作用に悩む。
- 食べられなくなることで、食べなければだめだと焦る。
- 2018年10月頃から週に2回の非常勤の緩和ケア医としての仕事を開始。
- 12月、手術後半年を経過して、食べられなくても生きられる、と考え、少しだけの量しか食べられなくとも良い、焦らずにいこうと考えた。
- 2019年になってやっと2分の1人前を食べられるようになった。
- 2019年1月、新聞投稿を続けていたため、新聞の取材を受け、3月11日に大きく記事にもなった。その後、記事を見て闘病記出版の依頼も受けた。
第四章 転移
2019年4月8日:CT検査・MRI検査で肝臓への転移が一ヵ所見つかる。
- 著者本人が手術には耐えられない(手術をしても抗がん剤は服用するだろう・腫瘍の悪性度の高さから切除してもまた別のところに出る可能性は高い・胃の手術で少し体力が戻ったのに、ここで肝臓の手術は耐えられない)と申し出て、化学療法とした。
- スーテント(抗がん剤)の開始。
- 手術から一年、スーテントの副作用で、味覚の変化・爪の色素展着
- 発病後、体重は40kg以上減った。
第五章 「患者風」吹かせて~これだけは言いたい! 12のこと
1.手放す終活のすすめ
- ゴミとして捨てるのではなく、価値あるものでも手から放す
- 終活は死ぬためのものではなく、今を生きるためにある
- 過去のものを持ち続ければ、今を生きられない
2.「人間好き」こそ医者の条件
3.がんになるのは「2人に1人」は健康者の目線
- がんの患者にとっては2分の1ではなく、1分の1.がんになった人は、さらにがんになる可能性もある。
4.「いつかは死ぬ」のではなく「いつでも死ぬ」
- 「人間はいつかは死ぬ」ではなく、「私はいつかは死ぬ」・「私はいつでも死ぬ」
- 末期がんになると「私はいつでも死ぬ」と思ってしまう。
- 自分の死を実感した人は、「私は死ぬ」・「私はいつでも死ぬ」
5.がんサバイバーにも、いろいろある
- 「がんサバイバーってもいろいろだ。一括りにしないでくれ!」
- 完治している人がうらやましい
6.夢は消えても目標は持てる
- 今の自分(筆者)は、せいぜい一か月後まで、頑張っても3か月後の目標を持つこととしている。それ以上、遠い先は体調の見通しが分からない。3カ月以上先は目標ではなく夢となってしまう。
7.生前葬より「生前送別会」を
- 自分が生きている間、周りのことがわかる間、話ができる間に、家族や友人と思い出を振り返ったり、感謝したりしたい。
8.「がん患者の医者」になって初めてわかったこと
- 疾患の判断や検査、治療ではなく、その疾患を持つ患者に目を向けるようになった。
- 「患者と同じ目線で」「患者の身になって」などというが、医者が患者に近づいても、さらに患者は医者の視線の下を行く。なぜなら病を患うことはその人の立場を下げる、そこにいることを強いられる。
9.患者自身に勝るとも劣らず家族も苦しい
10.「がんは死ぬまでに時間の猶予がある」は甘い考え
- 体力を消耗し、やる気を失い、家族を辛い目に合わせる時間が長いということでもある。
11.今やりたいことは、今やる
- 「退職したら・・・」・「定年後は・・・」ではなく、やりたいと思ったら今やろう。できるうちに。
12.あきらめる、そして頑張る
この書籍の目次
第一章 発病
第二章 緩和ケア医を目指すまで
第三章 闘病
第四章 転移
第五章 「患者風」吹かせて~これだけは言いたい! 12のこと
- 手放す終活のすすめ
- 「人間好き」こそ医者の条件
- がんになるのは「2人に1人」は健康者の目線
- 「いつかは死ぬ」のではなく「いつでも死ぬ」
- がんサバイバーにも、いろいろある
- 夢は消えても目標は持てる
- 生前葬より「生前送別会」を
- 「がん患者の医者」になって初めてわかったこと
- 患者自身に勝るとも劣らず家族も苦しい
- 「がんは死ぬまでに時間の猶予がある」は甘い考え
- 今やりたいことは、今やる
- あきらめる、そして頑張る
妻から夫へ ~生きてくれて、ありがとう。
おわりに
謝辞