葛藤、悶々とした日々をありのままに告白した一冊
基本データ
書き残すことが、わたしの医師としての最後のつとめです―。50歳。わが国屈指の脳外科医が、ある日突然病魔に冒された。
病名は悪性脳腫瘍。医師として携わってきた専門分野だ。彼は即座に理解した。もう、助かる見込みがないということを…。
死への恐怖、激痛、手術・検査・治療の実態、妻の愛、幼い一人娘への想いを、赤裸々に日記とテープで綴った執念の同時進行ドキュメント。
Amazonから
書名 | 医者が末期がん患者になってわかったこと―ある脳外科医が脳腫瘍と闘った凄絶な日々 |
著者 | 岩田隆信(患者本人) |
出版社 | 中経出版 |
発売日 | 1998年1月1日 |
- 患者氏名:岩田隆信(1949年頃生まれ)
- 種類:脳腫瘍(悪性グリオーマ)
- 発症年齢:49歳頃
- 自覚症状:1997年1月29日に激しい頭痛を覚える。2月17日にとある病院でのMRIで腫瘍が見つかる。3月3日に同じ病院で再度、MRI。3月19日、知り合いの病院でMRI造影検査。脳腫瘍が見つかった。4月3日に勤務先の教授に、慶応大学で手術することを告げた。4月7日入院。4月15日一回目の手術、7月22日二回目の手術、10月24日三回目の手術
- タグ・ジャンル
最初にお読みください
このサイトの書評を初めて読む方は、「おススメ書籍の使い方」をまず一読ください。
おススメ書籍の使い方 | がんケアネット以下の文章には、「末期」・「死」などが含まれている場合があります。
おススメポイント
自らの専門分野である脳腫瘍になった脳外科医の闘い、葛藤がよくわかる
脳外科医である著者自身が脳腫瘍「悪性グリオーマ」になった。
自暴自棄あるいは、うつ病(ご本人も自覚)の状態になっていることが本著からしっかり読み取れる。次は教授という立場になる可能性があるため、自覚症状がありながらも検査を先延ばししてしまう、病院の同僚には伝えたくない、マイナス思考ばかりとなる、ということも明確に自分の言葉で描いている。
脳外科医だからわかる自らの人生の残り時間。しかし、病を認めたくない、職場に知られたくない、なんで俺が… このように病と自分への葛藤などが赤裸々に描かれている。1998年の著作だが、古さなど全く感じさせない人間味あふれる作品だ。
こんな方へ
- なんで俺が、と葛藤している患者自身、家族・身内の方へ
- マイナス思考や堂々巡りになっている方
一部抜粋
以下、下線は私自身によるものです。
検査をしなければならないとわかっていながら先延ばし
MRIの結果は、昨夜のうちに妻の規子に話していました。「怪しい影が出ている。脳腫瘍かもしれない」……と。
涙こそこぼしませんでしたが、規子の顔色がサッと変わるのがわかりました。それに、ある程度覚悟はしていたようでした。白河の病院で頭痛に襲われたときも、私は隠さずに話していましたし、その後、毎日、頭痛に悩まされている様子を目にしていましたから、ただごとではないと思っていたようです。
そして「一日でも早く詳しく検査をしてほしい」と言い続けていたのです。しかし私は、その言葉を無視するようになかなか腰を上げようとしませんでした。とにかくやらなければならないことが目の前に山積みになっていたからです。それに追われて、なかなか暇がとれなかったことが第一の原因でしたが、じつは私自身、心の中で、結果を出すことを先延ばしにしたいという気持ちに勝てずにいたのです。
「もし、とんでもない結果が出たらどうするんだ。娘の綾乃もまだ六歳で小学校にも上がっていない。助教授から教授への道を歩いていくにも、健康を害してなんかいられない。なによりも、診なければならない患者がいる」 心の中でそんなことを思っては、検査を受けることを躊躇していたのです。
引用:p37-38
自分はがんではない、でもなんで俺だけが… 悶々とする著者
もし、私自身が、同じような状況の患者を診ていたら、有無を言わさず手術を勧めていたことは間違いありません。しかし、当時の私は、心のどこかで、まだ高血圧のために出血が起きたのではないだろうか、また腫瘍は良性のものなのではないかなどと、自分をごまかしながら、気休めに降圧剤を飲んでいたのです。
しかし、その一方では、悶々とした毎日を送っていました。
そして、口を開けば「どうして俺だけがこんな目にあわなきゃならないんだ」と愚痴を口走ったり、他人に対するうらみごとを口にしたり、自分の運命をブツブツとのろったりしていたのです。
その一番の被害者は妻の規子だったでしょう。規子としても心配でいても立ってもいられない気持ちだったのでしょう。だから、「早く、きちんと検査を受けて」「早く治療を受けて」と言い続けていました。私の身を案じてのことはもちろんですし、専門家である夫が腫瘍らしいものを発見して頭痛を訴えているのですから、それは当然のことといえるでしょう。
しかし、私はそんな規子に対しても、「仕事が山のようにあって体調がどうのと言っていられないんだ」「どうせ、この痛みはわからない」「たいへんな目にあっているのは俺なんだ」などと、ずいぶんひどい言葉を投げつけていたのです。
それに対して、彼女は返す言葉もなかったでしょう。イライラしている私が、うらみつらみをぶつけてくるのを、黙ってじっと耐えるしかなかったのです。
医師の立場と患者の立場……。自分では十分理解していたつもりでしたが、自分が病になって初めて、本当の意味で患者や患者の家族の抱えている問題の一端に触れはじめていたのです。
引用:p46-47
必要以上に言われたことを悪くとらえてしまう
前日、春山君は、私に「要するに、おまえは敗れたんだ」とも言いました。もちろん、クヨクヨと躊躇している私を叱咤激励し、早く手術の準備にとりかからせるために、あえてそんな激しい言葉を投げつけてくれたのです。
しかし「敗れたんだ」という言葉は、私の心に深く突き刺さっていました。
引用:p48
自分としてはどうしても職場や大学の仲間に知られたくない。だから他の病院で自費で検査した
はたして本当に腫瘍があるのかどうかを調べるには、MRI造影(エンハンス)検査をやらなければなりません。注射をして、腫瘍の部分の影を濃く出して詳しく見てみる必要があるわけです。しかし、もし悪性腫瘍という結果が出た場合、過去二回MRIを受けた病院はうちの科がバックアップしているので、その事実がアッという間に大学中に知れ渡ってしまう可能性がありました。
この段階で、私はまだ大学の仲間には知られたくないと思っていたので、東京のある病院の院長をしている大学時代の同級生に頼んで、MRIの造影検査をやってもらうことにしました。さらに、健康保険を使うと、大学の事務にその情報が入る可能性もあるということで、弟の名前を使い、自費でやってもらうことにしました。
今となっては姑息な手段だったとも思いますが、このときの私の心の中にはまだ、「脳外科医として自分が脳腫瘍になるなんて恥ずかしい」とか「一緒に仕事をしている仲間に、病気になった姿を見られるのは忍びない」という気持ちが強く残っていたのです。
正直に言いましょう。もし自分の大学で治療を受けることになると、入院したとたんに、大学中のみんなが私の病気の事実を知ることになります。 医師も、手術場も、検査室も、みんな私の知っている連中ばかりです。
「そうか、岩田は脳腫瘍になったのか、かわいそうに……」そういう目で見られるのが、何よりつらかったのです。大学の同僚に、あまりみっともない姿は見せたくない。できればほかの病院で治療を受けたい、……それが私の本心でした。
引用:p94-95
入院後、「自分が脳腫瘍なんかにならなければ…」 堂々巡りのマイナス思考
慶応を出て大学人になった者は、みんな、多かれ少なかれ、機会があれば母校の慶応に戻って教授になりたいという夢をもっています。 正直に言うと、私自身もそういう夢をもっていました。そして私は、偶然にも、そんな夢を実現した同級生に、悪性脳腫瘍というホープレスな手術の麻酔をかけてもらうことになったわけです。
その運命の差に、私は非常な不公平感を感じないではいられませんでした。たしかに彼は人間的にもすばらしいし、学問的にも優れています。何を言っても仕方のないことだし、誰の責任でもないことを頭ではわかっているのです。でも、「なぜなんだ!』という気持ちになってしまいます。
もし、自分が脳腫瘍なんかにならなければ、彼と同じように、自分の夢を追い続けていたはずなのに……、自分のこれまでの人生や苦労はいったいなんのためだったのか……そんなマイナス思考を止めることができませんでした。
だからこそ、なおさら、仕事のことや学会のことが頭から離れなかったのかもしれません。こんなことをしていられないのにと焦って、実際に、やれるわけでもないことが頭の中で堂々巡りをしていたのです。
引用:p114
この書籍の目次
編集ノート 序章に代えて
第一章 脳外科医が脳腫瘍になったとき
第二章 脳外科医への階段
第三章 逡巡の日々
第四章 患者になって初めてわかったこと
第五章 運命の日
第六章 回復
第七章 再発
第八章 最後の挑戦
編集ノート 終章に代えて
論文 脳腫瘍治療の最近の考え方