心が穏やかになる文体 エッセイストによる虫垂がん闘病記
基本データ
エッセイストである著者は、40歳で虫垂がんと診断された。しかも、S状結腸に浸潤。手術後、約2年が経つが、再発の不安はいつも頭から離れない。あすをもしれぬ生活を余儀なくされたとき、人はどのように生き、何を考えるのか。仕事は?家族は?自分らしくあるために、サポートグループに入会、漢方、食事療法、行動療法…エッセイストがつづる、渾身のがん闘病記にして、静謐なこころの軌跡。
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書名 | がんから始まる |
著者 | 岸本葉子(患者本人) |
出版社 | 晶文社 |
発売日 | 2003年10月19日 |
- 患者氏名:岸本葉子(エッセイスト・1961年生まれ)
- 種類:虫垂がん
- 発症年齢:40歳頃
- 自覚症状:2000年7月に、ひどく疲れた感じがして寒気や関節が痛くなった。おなかに腫れものがあるのを感じた。最初は近くの婦人科で診察、9月に再来し、そこで総合病院へ行くことを指示され診察を受けたが、症状は治まっていた。
その後、2001年秋になっても痛みは治まらず、2001年10月に注腸造影を行い、S状結腸にポリープが見つかる。進行した虫垂がんで、虫垂と浸潤していたS状結腸の一部、周辺の腹膜、リンパ腺を切除した。 - タグ・ジャンル
最初にお読みください
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おススメ書籍の使い方 | がんケアネット以下の文章には、「末期」・「死」などが含まれている場合があります。
おススメポイント
筆者の気持ちに共感できるところが多数 リラックスした文体の闘病エッセイ
詳細の闘病記ではない。エッセイストである著者の何とも言えぬリラックスした文体が読み手の心を包む。時系列ごとにうまく書かれた文章に、「その気持ちはわかる」と共感しそうな出来事や思いが随所にある。そんな書籍を探している方は是非一読を。
私も、一連の治療が終わった後に本著を読みながら、以下に紹介する場面で、「その通り」と何度もうなずく場面があった。
このような方、このような時に
- エッセイ風の闘病記を探している方
- 闘病記でも共感したい
一部抜粋
以下、下線は私自身によるものです。
がんと告知された後の気持ち
ほんの一時間ほど前、ここを通ったとき、(帰りに、この喫茶店に寄ってもいいな)と思った。
そのときの私は、まだ、がん患者ではなかった。がんはすでにあったけれど、そのことを知らなかった。
がんになったのだ。ロビーで禁じたひとりごとを、今度は、最後までつぶやく。
私の人生は、これで大きく組み立て直さなければならなくなった、と。これまでの心配事は、ほとんどが、年を取ったらどうしようというものだった。ひとりで、子もなく、住まいは? 年金は?
自分がいかに、何の根拠もなしに長生きすると信じ込み、すべての前提にしていたかを、思い知る。その前提が、今日このときから、 なくなったのだ。
p33から
退院したあとは、断捨離
人からもらって、ずっと使わないでいるけれど「そのうち何かの役に立つかも」としまっておいた器類。贈った人が万が一訪ねてきたとき、ないと悪いから、とってあった飾り物。「いつか着るかも」とクローゼットの奥に入っていた服。それらを、みんな。
「そのうち」「いつか」なんて時より、再発や死の方が、今の私には現実的だし、義理ももう、いいって感じ。後の処分を考えて、なるべく減らさなければ、身軽にしなければとの、心理が常にはたらいている。要るものと要らないものとが、はっきりした。モノだけでなく、人間関係も。お付き合いに類するものは、断る。
エゴイスティックだけれど、外出がこたえる身には、命が削られるに等しいのだ。今の私は、時間、体力とも、余裕がない。
パジャマや腹帯など、入院に要した品だけは、捨てないでトランクに詰め、いつでもそのまま持っていけるようにしてある。(これもまた、敗北の思想だわ)とは思わなくはないけれど、ひとり暮らしの私は、 いざというとき、頼める人がいない。備えだけは、しておかないと。
p159
時間外の病院のロビーにいた時、周囲には妊婦とそのパートナーが何人かいたのを見かけて
(あー、こういう選択肢は、自分の人生から、もうなくなったんだな)と思う。
切除したのは、婦人科の臓器ではないから、機能としては残っているが、五年生存率が云々される今、子供を産むことを考えるのにふさわしいときではないだろう。
が、別にそれは、この病気になったから、失ったものではない。四十歳までの間に、出産につながるような生き方を、自分がしてこなかっただけ。会社を辞め、転職し、その間ずっと、結婚、出産という課題は先送りして、真剣に取り組もうとしなかった。
誰に強いられたわけでもない。すべて自分の選択だ。何の文句がありましょうぞ、という感じ。
そんなふうに納得できるだけでも、恵まれた人生を、過ごしてきたと言えるだろう。
「泣き言ごとを言うのは、私らしくありません」立ち上がり、屑籠に紙コップを捨て、そうはっきりと、つぶやいた。
p136
すぐに「自分の命とモノを比較していた」
(でも、何万かはたいて取り付けても、減価償却しないうちに、こっちの寿命が先に尽きてしまってはなあ) と、消極的な考えが、ついついわく。
エアコンについても、同じこと。いい加減、耐用年数に来ているらしくて、しょっちゅう停まったりするのだが、いまひとつ買い替えに積極的になれない。
仮に、こっちの寿命が先に尽きたとしても、もったいないと感じる当人はもう死んでいるわけだから、「もったいない」も何もないのだけれど。
落ち込んでいるときは、家電製品どころか、食品の乾物などの賞味期限にさえも、(二年先なんて、私より長くもつかもしれないじゃない)と思う。
p184から
思考の堂々巡りもよくある
基本は前向きの私だが、体調が悪かったり、疲労がたまったりすると、気が弱くなるときもある。すると、背後で待ちかまえていたかのように、「死」がすぐに、そばにしのび寄るのである。
私の思考は、次の回路をたどりはじめる。
1)手術治癒率は三十パーセント(直後に、五パーセントと訂正されたが、そういうときの私は、悪い方の数字を取る)。
2)七十パーセントは再発する。
3)再発したがんは、基本的に、治らないといわれている。
4)すると(この3から4へのつながりは実は、論理的正確さを欠くのだが、疲れているときの私は、そうと知りつつ放置する)、七十パーセント近い確率で、私は数年以内に死ぬわけか。
5)だったらもう、何をしてもしょうがないか。
6)でも、死なないかもしれないしな。 で、1に戻る、という堂々めぐり。
p186から
フランクルの「意味と意思」
人生は常に、あらゆる状況において、何らかの課題を私たちに指し示していると、フランクルは言う。そして私は、課題があるということが、これまでだって、けっして嫌いではなかったではないか。
人間の「自由」についても、フランクルは言及する。
変えることのできない、どちらを向いても絶望的としか思えない状況でも、人間には、運命に対してどのような「態度」をとるかという自由が、ある。
病が進行し、仕事などの「活動」を通しての、創造的な価値実現は、あきらめなければならなくなっても、読書や音楽を聴くといった、ベッドにいながらの受動的な「体験」を通しての価値実現さえ、かなえられなくなったとしても、人間はなお、自分のおかれた状況に対する「態度」によって、何らかの意味を実現することができる、と。
そうすれば、人生でやり残した優先順位の高いものからやるので、死ぬ直前の満足度が違うと言います。それが、何も言わずに、最後に来て「もうだめです」となると、ものすごく悔いが残るわけです。
引用:p207
この書籍の目次
序
第一部
兆しは、あのときから
がん患者となって
入院生活が始まった
私は助かったのか?
第二部
退院後をどう生きるか
がんからはじまる
あとがき