一つの生き方、死に方として参考になる一冊。
基本データ
吉村達也が最期の日の直前まで書き続けた「ヒマラヤノート」。そこには人生を閉じようとする者、愛すべき家族への力強いメッセージが記されていた。本書は闘病の経過と彼が伝えたかった思いが込められた1冊である。
Amazonから
書名 | ヒマラヤの風に乗って―進行がん、余命3週間の作家が伝えたかったこと |
著者 | 吉村達也(患者本人) |
出版社 | 角川書店 |
発売日 | 2012年7月31日 |
- 患者氏名:吉村達也(1952年生まれ)
- 種類:胃がん
- 発症年齢:59歳頃
- 自覚症状:2012年4月頃、黒い液体を一日に何度も白戒名、墓、旅立ちの衣装、すべてを拒否するようになり、歩けなくなったため入院した。
- タグ・ジャンル
最初にお読みください
このサイトの書評を初めて読む方は、「おススメ書籍の使い方」をまず一読ください。
おススメ書籍の使い方 | がんケアネット以下の文章には、「末期」・「死」などが含まれている場合があります。
おススメポイント
末期がんの強い痛みの中でも最後まで自分を貫く
作家吉村達也が、亡くなるまでの数週間を書き伝えたもの。
泣かない・後悔しない・思い出話をしない、という著者の考えの中で特に「泣かない」という考え方は非常に参考になった。これ以外にも著者独自の生き方・死に方に対する考えが確立していたことが読み取れる。末期がんの痛みの中で自分を最後まで貫かれたと敬服する。
本著は、吉村氏本人の文章によるもの・口述筆記によるもの・彼の取材ノートに綴られたものの三構成に大きく分かれている。妻と娘の看病、看護師と医師の治療、そして本人の3つの矢が、非常にうまく交差している。ここが全篇を通しての読みどころだ。
「私は4月1日を自分の命日と決めました。あとはプラスの人生のみです」
p206
この文章はなぜか非常に心に残った。生き様、死に方についてかなり参考になる書籍。
このような方、このような時に
- ステージが高い方
- 患者ではなく家族として接する方
- 末期がんの状況を知りたい
一部抜粋
以下、下線は私自身によるものです。
戒名、墓、旅立ちの衣裳、すべてを拒否する
まず、戒名などという馬鹿げたものはつけないこと
ぼくは仏教徒ではない。どんな宗教にも属していないし、無宗教であることを誇りとしている。
同様の理由で、墓にも入れないこと。法律上、火葬は受け入れるが、火葬に至るまでの棺に入るときの服装は、上は六十歳の誕生日に妻と娘がプレゼントしてくれたうす紫色のポロシャツ、下は娘がプレゼントしてくれてトレーニングに愛用していたアディダスのウェア、靴はトレッキング(またはトレーニング)シューズ、合掌の形に手を組ませたりせず、ごく自然に身体の脇に伸ばしておくこと。
冥土へ旅立つときの服装――それはなんとくだらない、滑稽なものだろう。白装束に草履、ずた袋に六文銭(それも火葬に差し支えないよう紙製のオモチャだ)、合掌して頭に三角巾。まるで幽霊ではないか。いくらぼくがホラー作家だからといって、幽霊のコスプレで送り出さないでほしい。かといって、よそゆきのおしゃれも必要ない。日常のかっこうでじゅうぶんだ。
引用:p36
医師に怒られなかったのが嬉しかった
「なんで、いままで放っておいたんですか」
こういう台詞を一度も言われていない。怒られなかったことは、ほんとうに嬉しかった。
ぼくが印象に残っているのは、逸見政孝アナウンサーがガンで入院したときに、医者から「なぜ、こんなになるまで放っといたんですか」と叱られたという。彼の著書にも、そう書かれている。ぼくも、そう言われてもしかたがないほどのスペシャル 手遅れ状態だ。それなのに、まったく言われなかった。
ショコランのときも、三年間かかった西京極どうぶつ病院の山田先生はすごくいい人で、この先生にかかる前の医者は、まさに「なんでこんなになるまで放っといたんだ」 、「もう治療しない手もある」とか、すごい言われ方をした。
そういう意味でも、またショコランとぼくはシンクロしている。このデータを見て、必ず誰かからは言われると思っていた。が、誰も言わない。こんなにありがたいことはない。それに感動したということを先生たちに伝えてほしい。
引用:p111
(注:ショコランとは飼い猫のこと)
禁止三箇条 ”泣くこと、悔やむこと、思い出話をすること”
たとえば、ぼくが交通事故で死んだとしたら、どうだろう。あっと思った瞬間に死んでいるわけだから、こんな時間は持てないわけだ。
そういうのに比べれば、何日というのはわからないが、少なくとも近いうちに死ぬということを知らされたことは、非常に貴重な体験である。ありがたいことだと思う。人よりもいい人生を生きているという感じがする。
それなのに、泣いたり、悔やんだり、思い出にひたったりするのは、その時点で生きることをやめているに等しい。ほんとうに生きるのだったら、そんなことはしない。こういうことをしなければいけない、という固定観念にとらわれすぎているように思う。残された貴重な時間である。それをどう使うか、元気なときに考えてもいいことのひとつだ。
p128
ぼくがいま、泣かないでいられる理由
ぼく自身、涙で消化した時間があるように、ぼくのいないところで泣くのは当然だと思う。妻と娘がふたりでいるときに泣いたりとか、娘が彼氏といるときに泣いたりとか、そういう発散場所は必要だから、将来の息子にはその役を頼んだ。
だけど、ぼくの前では絶対に泣くな! これは厳命。泣くのは無理もない、とは思わない。こういう状況は、涙がすべてを狂わせてしまうからだ。正しい判断能力を狂わせてしまう。一回泣いたら、もう収拾がつかない。
泣かないことによって、妻と娘のふたりはどんどん強くなっている。家族三人での会話にタブーがなくなってきているのだ。何かで泣いてしまうと、こんなことをしゃべってはいけないと思ったりする。でも、じつは「こんなことをしゃべってはいけない」ということが、一番重要なことだったりするものだ。
ぼくにとって、しゃべってほしくないことというのは、自分と自分の現在の状況とは関係ないような日常的な話題。たとえば、小沢が無罪になったねとか、ゴールデンウィークすごいねとか、そういう話題は聞きたくもない。なにも自分がこんなになっているから、人が旅行に行くのに腹がたつわけではない。単なるごまかしだと思うからだ。
ぼくらは、もっと大切なことを話す必要がある。人生論とか、これからの話とか、具体的に何が必要だとか……限られた時間の中で家族が話すことは何か、みなさんも考えてみてほしい。
引用:p132
主治医の証言から:余命は告知すべき
がんの患者さんはみんなそうみたいなんですけど、「はっきりと余命を告知してもらうほうがよかった」と言います。精神科の先生もみんな言います、可能な限り告知はすべきだ、と。
そうすれば、人生でやり残した優先順位の高いものからやるので、死ぬ直前の満足度が違うと言います。それが、何も言わずに、最後に来て「もうだめです」となると、ものすごく悔いが残るわけです。
引用:p207
この書籍の目次
プロローグ
第一章 どうしてここまで放っておいたのか
第二章 超手遅れのガン患者、やっと入院する
第三章 作家が口述筆記をしてまでも伝えたかったこと
第四章 作家自ら取材ノートにつづった入院の記録
エピローグ
あとがきにかえて