公開日:2019年7月21日 | 最終更新日:2023年10月16日

2019年7月18日(木曜)に入院して、翌日の金曜は放射線照射だけだ。土曜日の朝には一時帰宅。仕事の打ち合わせをこなして、土曜夜から日曜夜まではゆっくりした。日曜夕食後に病院へ戻る。いわゆる抗がん剤(FP療法)の前夜だが、さすがに不安を覚えた私だった。

金曜は病院で、土曜朝から日曜夜まで外泊(自宅)

金曜日が入院2日目。放射線照射をしただけ

今日は、2019年7月19日(金曜)、入院2日目だ。

6時10分頃に起床。まぁ昨晩の太った男性のいびきはうるさかった。6時45分頃に洗面。7時半頃に談話室でAmazonのFire HD で雑誌読む。8時過ぎに朝食。おかずだけ食して、念願の談話室で生パンをトーストにする。ESDでの入院の際は、絶飲食が続き、また重湯がメインだったので、トーストというか普通の入院での朝食は初めて。いつの日か、談話室のトースターで生パンを焼き立てで食べたかった。念願かなったりで、まぁまぁうまかった。

食道がん化学放射線療法2日目の朝食
7月19日の朝食

朝食後は談話室へ。仕事をやっていると11時から放射線へと言われたので行く。毎回、2回の照射だが、実際に放射線がいつ出ているのかわからない。結構、注意して音を聞いているのだが、よくわからない。

放射線が終わって、読書。少しして昼食。その後、13時からシャワー。午後は、談話室で仕事と読書。少し眠気が続くので寝た。

16時に友人がお見舞いに到着。ありがたい話だ、本当に。17時半頃に帰られた。18時まで明日の一時帰宅の準備をして、夕食。お見舞いの土産も食べながらだ。談話室が暑い。がっかりだが、もう7月も後半に入っている。昨日から尿をためていたが、腎機能は問題ないとのこと。抗がん剤をやれるということだ。

食道がん化学放射線療法2日目の昼食
7月19日の昼食
食道がん化学放射線療法2日目の夕食
7月19日の夕食

入院3日目の土曜に一時帰宅し、日曜夜に病院へ戻る

食道がん化学放射線療法3日目の朝食
7月20日の朝食:途中で撮影

今日は7月20日(土曜)で入院3日目。朝食を終えてから、外泊、いわゆる一時帰宅。まだ放射線照射を2回やっただけで、体調に変化はない。病院から、まっすぐに打ち合わせ先へ。夕方にやっと終えて帰宅した。

帰宅したが、家族は特に変わらず。まぁ、そういうものだろう。いつもの土曜が終わった。

翌日の日曜は妻が休みということで、豪華な食事だった。15時頃に妻との買い物から帰宅。荷物を詰めているとあっという間に18時。夕食がうまかった。19時過ぎに家を出た。

地下鉄で病院へ。かなり蒸し暑い。コンビニでお茶を買って、ベッドに到着。カテーテルのガーゼなどを看護師さんにきれいにしてもらう。その後、談話室でパソコン仕事をやって22時からベッドでビデオを見る。

抗がん剤の前夜、薄い吐き気を覚える

病棟到着後から寝るまでの2、3時間のあいだに、微かに薄い吐き気があった。

実は、私は、強い喘息で悩んだ時期がある。会社経営を始めてからだ。喘息発作はひどい時は一日に4、5回あった。発作が始まると数分間は続く。咳と呼吸困難、そして痰が出るまでは身体全体でもがくので真冬でも大汗になる。呼吸困難で救急車を呼んだこと数回もある

例えば、打ち合わせで数十分の電車に乗るとする。乗車中に喘息発作が起きたら困る。発作は数分で終わるが、終わらない可能性もある。だから途中下車できる急行や普通電車に乗る。「あぁ、発作が起きそうだな」と思い始めると、気持ちが不安定になる。

食道がん抗がん剤前夜に不安で軽い吐き気を覚えた

こんな不安定な日々を数年間続けていたため、何かが始まる前には、かなり不安になり、吐き気を感じたり、実際に喘息発作が起きていた。その吐き気が今日、起きたわけだ。ちなみに喘息発作はここ数年間、まったくない。

考えてみると、まず夕食後から外出するまでやはり緊張していたようだ。どうしても、「抗がん剤のことを考えてしまう」という感じだった。おもしろいもので、交通機関での移動中はまったく不安感はなかった。

しかし、夜になって、まず吐き気に似たものを覚える。まぁ久しぶりである。数年ぶり。まさか喘息の発作はないだろうとは思っていたが、この一連の不安定さは過去に経験したモノと同じだった。

いずれにせよ、ある程度、自分自身をまだまだ客観視できていた。「あぁ、緊張しているな私は」という感じで、私はそれをメタ認知と呼んでいる(メタ認知については、「心が落ち着かないときに私がやること3つ」を参照いただきたい)。

その日は、夜中の24時にビデオを見終わ、目を閉じた。すぐに寝たようだ。良かった。

今、思えば

まだまだこの頃は体力があったようだ。外泊での自宅と病院の行き帰りはタクシーではなく公共機関を利用しているのだから。2回目の入院などは真夏というのもあったが、荷物を持って電車に乗るなどまず無理だった。

また、抗がん剤に対する不安もあったが、数週間前から不安に思っていたのではなく、前夜に不安を感じただけだ。これも不幸中の幸いだったと思う。というよりも、抗がん剤後、身体がどうなるか全く予想がつかなかったため、不安に感じようにも具体的にどう怖がったらいいのかわからなかったというのもあるだろう。

日曜は、豪華な食事だった。これから食べられなくなるかもという妻の配慮だったのかもしれないが、その点については当時は、全く考えていなかった。