• お知らせ:このたび、私の闘病記を電子書籍(Kindle)と紙の書籍で出版しました。ぜひご覧ください。

2025年6月27日(金)、東京で開催された「第79回日本食道学会学術集会 市民・患者セッション」において登壇し、発表いたしました。

演題は「がん治療の選択、その裏にあったもうひとつの悩み」です。

経営者としての立場から、がん治療と仕事・個人保証の現実、そして医師との関わり方について語った内容を、以下にまとめました。

1. 治療選択の裏側:確証バイアスとの闘い

2019年3月、健康診断の結果を受けて「食道に腫瘍が見つかりました」と告げられました。その後の詳しい検査の結果、治療は、外科手術か化学放射線療法(CRT)か、いずれかを選ばなければなりませんでした。

その頃の私は、親しい人を手術後の逆流の苦しみの末に亡くした経験から、漠然と「手術は避けたい、CRTがいい」という思いを抱いていました。

人間は不思議なもので、一度そう考えると、無意識のうちに自分の気持ちに合う情報ばかりを集めてしまうものです。

そんな時、「手術と化学放射線療法の成績はほぼ同じだ」とする研究結果を紹介した記事を読み、それを見た瞬間、心の中で「やはりこれだ」と確信してしまったのです。

経営者として20年近いキャリアがありながら、がんの前では冷静な判断を失っていました。経営では「確証バイアス」は致命的な落とし穴です。

しかし、がんはそれほどまでに、人間の思考を変えてしまう。文字通り、このことを体感しました。

2. 治療に専念できない「もう一つの重荷」

治療方針を考える裏側には、もうひとつ、大きな問題がありました。それは、会社経営に伴う「個人保証」という責任です。

中小企業の経営者は、銀行から資金を借り入れる際、会社の代表としてだけでなく、個人としても連帯保証人になることが一般的です。つまり、会社が借金を返せなくなった場合、代表者自身がその返済義務を負うことになります。このような仕組みを「個人保証」と呼びます。

この個人保証は、返済が終わるまで自動的に解除されることはありません。たとえがんになっても、会社を辞めても、責任はそのまま残ります。もし本人が亡くなれば、数千万円規模の負債が遺族に引き継がれるのです。

このどうしようもない仕組みが、常に心の奥底に重くのしかかっていました。

そしてある日、抗がん剤初日の点滴中に会社から指示を仰ぐ電話がかかってきたのです。治療に集中していた意識が一気に現実に引き戻されました。

「このままでは、判断を誤って社員を路頭に迷わせてしまうかもしれない」

そう感じた私は、経営者としての責任を果たすために、会社を辞める決断をしました。

治療と並行した「保証解除交渉」という現実

退職により、個人保証の問題は待ったなしの現実となりました。治療と並行して、保証解除の交渉を進めなければならなかったのです。

治療に専念せざるを得なかったこともあり、結果として、懇意にしていた弁護士に交渉を依頼しました。

治療の合間の一時帰宅の土日は打ち合わせに費やし、抗がん剤のクールが終わればすぐに銀行との面談が待っています。こうして、治療と交渉の予定に追われる日々が続いていったのです。

心も体も休まる暇はなく、「治療に専念できるはずもなく」という言葉が、そのまま現実でした。もし外科手術を選んでいたら、もし外科手術を選んでいたら、体を動かすことすら難しく、このスケジュールをこなすのは物理的に不可能だったでしょう。

弁護士の助けもあり、子どもたちに負債を残すという最悪の事態だけは避けることができました。

しかし、もしそうならなかったら、私はきっと治療どころではなく、途中で治療を離脱していたと思います。

医師・医療者に伝えたい「たった一言の力」

発表の締めくくりとして、これからの患者が少しでも安心して治療に臨めるようにとの思いから、医師や医療者の方々に向けて二つの具体的な提案をしました。

提言1:治療スケジュール提示時の「一言」

治療の全体スケジュールを説明する際に、「他に準備が必要なこと(仕事・家庭・経営)はありますか?」と、たった一言問いかけていただきたいのです。

多くの患者は、医師が提示したスケジュールを「変更できないもの」と受け止めます。「変更できる余地がある」とは思わないのです。しかし、医学的に調整可能な範囲があるなら、そのことを伝えてもらえるだけで、患者は治療開始前に必要な整理や準備を進められます。

また、この一言がきっかけとなり、患者の事情に応じて、医療ソーシャルワーカー(MSW)などの支援につなげることも可能になります。

提言2:診断書発行時の「使途の確認」

診断書そのものに、連帯保証を解除するような法的効力はありません。しかし、「診断書がある」という事実が、金融機関との対話の入口になることがあります。残された家族にとって、それはまさに生命線になり得ます。

だからこそ、診断書を発行する際には、その使い道(保険、休職、保証解除など)を患者に確認し、目的に応じて、治療期間の見込み・通院頻度・就業制限の有無・体調変動の可能性など、必要な情報をできるだけ具体的に記載していただけるとありがたいのです。

こうした情報は、個人保証の解除に直接つながるものではありません。

しかし、金融機関や家族が現実的な見通しを立てるための大切な資料になり、患者や残された家族にとっては「説明の根拠」として大きな支えになります。

さらに、書かれる内容が変わらなくても、「自分の事情を理解してくれる先生だ」という感覚があるだけで、患者や家族は大きな安心と勇気を得られます。そして、その信頼が次の治療への前向きな力になります。

こうした小さな配慮が、患者の安心や信頼を生み、結果として医療の質を高めることにつながると、私は自らの経験から実感しています。

まとめ:「わかってくれている」という信頼が、治療を支える力になる

がん治療は、医学的な判断だけでなく、仕事や家庭、そしてその人の人生の選択に深く関わります。

私自身、経営者としての責任と、患者としての現実の狭間で、「治療に専念する」という言葉がどれほど難しいことかを痛感しました。

しかし、医療者のたった一言の問いかけや、思いやりのある確認が、患者にとってどれほど大きな支えになるか、という点も同時に学びました。

「この先生は、わかってくれている。」

そう感じられた瞬間、患者は安心し、次の治療へ踏み出す勇気を持つことができます。その積み重ねこそが、より良い医療につながると信じています。

発表スライド

今回の講演で使用したスライドを以下に掲載します。実際の発表では、ここで紹介した内容を中心に、経営者としての体験と患者としての実感を重ねながらお話ししました。

参考:

運営者プロフィール

小島愛一郎(Aiichiro KOJIMA)
2019年に食道がんを発症し、化学放射線療法で治療。経営者として20年以上の経験を持つライター。著書「がん闘病記」と本サイトで、患者としての一次体験を社会に還元しています。

関連サイト:がん闘病記(Amazon)運営者個人サイト