あらゆる療法をさまよい、最後に標準治療へ 民間療法の怖さがわかる
基本データ
気功・温灸・食事療法から先端医学まで、全身のがんを治そうと手当たり次第に試して分かったことは-。元NHKアナウンサー・池田裕子が綴る、恐怖、涙、そして笑いが詰まった元気になる闘病記。
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書名 | がんと一緒にゆっくりと―あらゆる療法をさまよって |
著者 | 絵門ゆう子 |
出版社 | 新潮社 |
発売日 | 2003年5月1日 |
- 患者氏名:絵門ゆう子(1957年生まれ)
- 種類:乳がん
- 発症年齢:43歳頃
- 病歴概要:2000年10月に胸のしこりについて聞いたところ、乳腺外科の医師が触診で「90パーセント癌です」と言う。その後、一連の乳がんの検査を行い、早く手術するように言われる。2001年12月まで1年2ヵ月間、民間療法を続けるが、12月26日に聖路加病院に入院。2002年3月1日に退院。
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以下の文章には、「末期」・「死」などが含まれている場合があります。
おススメポイント
民間療法を信じ切っていた頃からの心境の変化がよくわかる
母親をがんで亡くしており、西洋医学に不信感を抱いていた著者。当初は、西洋医学を完全に拒否し、自然農法・民間療法・健康食品、その他の東洋医学に賭ける。このあたりの西洋医学を否定する日々の描写が前半を占める。
しかし、強烈な首の痛み(骨転移)で入院し、西洋医学に頼ることに。民間療法に頼り切っていた生活から西洋医学への転換。書籍後半では、民間療法を信じ切っていた時からの大きな心境の変化が描かれ、その推移・経緯がよくわかる。
元NHKアナウンサーだが、本人が赤裸々に書いている。2003年の書籍だが、民間療法に傾倒した著者(著者は洗脳と表現)の経験は、今でもかなり参考になる。
こんな方へ
- 民間療法はどんなものか知りたい
- 民間療法の裏の部分が知りたい
一部抜粋
下線は私自身によるものです。
とうとう入院した直後の気持ち 医師は「治る」という言葉は使わない
しかし、この期に及んでも、私の心は微妙に揺れていた。
この病院でするべきことが始まった。病院の良いところに一つ一つ気づき、それを素直に受け止める自分がいる。だが一方で、「ほんとうにこれでよかったのか」と葛藤する自分もいた。自分のしていることとされていることを、もう一人の自分が意地悪な目で点検していく。洗脳から解放されていく人間がその過程でたどる、行きつ戻りつ考え方が変わっていく疑心暗鬼の状態に陥っていたのだ。
「がんなんて簡単ですよ。すぐに治りますよ」と安易に言った民間療法で『先生』と呼ばれる人たちと違い、この病院の先生たちは決して「治る」という言葉は使わない。ただひたすら、状況を改善するための処置に取り組んでいる。その処置を受け、まな板の上の鯉になっている間、私は精神的な拠りどころを求め、「『治る」って言ってよ。『大丈夫だ』って言ってよ」という思いでいっぱいになった。施術が終わった後も、「先生たち、気休めになること、何も言ってくれない」という思いに陥った。
商売のためであり、また無責任ゆえの「治る」という甘言に慣れてきた私は、なんともいえない物足りなさを味わい、処置を終えて部屋から引き上げていった先生や看護婦さんから取り残されたように感じていた。
ちょうどその時、ずっと私に付き添って様子を見ていた妹がつぶやいた。
「ここの先生たち、お姉ちゃんのこと、全身全霊で、助けようとしてくれてる」
妹の言葉は私の胸の奥に響いた。身内に「全身全霊で」と言わせるような先生たちには、私が求めていたような気休めの言葉は必要なかったのだ。
引用:p43-44
「民間療法が効果がある」 そう思うことで、本質から逃げていたと心療内科の医師から指摘
そんな昼過ぎ、緩和病棟から心療内科の先生が、精神的なことを中心に問診に来てくれた。
長い時間をかけて話を聞いてくれた後、「要するに、あなたはただ怖くて逃げ回っていただけなんです。自分の身体に何が起きているのかを正視しないと、何も対策は講じられません。受けるべき検査は受け、自分の状態を知り、できる対策を打たなくては」ときっぱり言われた。
泣いているばかりだった私は正気にさせられた。
引用:p48
「治療法」がまず先ではなく、一人ずつ異なる体や心の状態が先にあって、それに則して行われるのが治療
がんといっても百人百様だったのだ。がんには百人百様の人相があったのだ。
それなのに私はずっと、がんというものを十把一からげに考えていた。がんといっても、一人一人その性質も治し方も治り方もすべて違う。ある患者のケースが、決して同じ病名を持つ他の患者には当てはまらない。
患者の心の問題にしてもそうである。それぞれの患者がそれぞれ違った環境の中でそれぞれの思い込みを作ってくる。だから受け入れやすいものと受け入れにくいものは、人によって全く異なるのだ。
病気に対する治療は、治療法が先にあるのでは決してなく、一人ずつ異なる体や心の状態が先にあってそれに則して行われるものだという当たり前のことに、私はこの日改めて気づかされたのだった。
引用:p54
「号泣と虚勢」・「支離滅裂とわかっていても止まらない」 告知直後の気持ちと態度
がんを告知されながら、診てもらう病院も主治医も持たないで生活していくのは、想像以上に心細いことだった。覚悟を決めるため、私には自分自身を洗脳するという作業が必要になった。そのために周りの人たちに日々気持ちをぶつけていった。
「がんなんて、自分で治せるわよ。末期だと言われて病院が見離してくれたために、そのあと何年も何十年も元気で過ごしている人がいっぱいいるじゃない」と、西洋医学に対し憎まれ口を叩いてみる一方で、「いいのよ。私はね、神様がくれた寿命まで精一杯生きればそれでいいの。自然療法なら『ぎりぎりまで普通に暮らしていられて、ポロッと枯れ落ちるように死ねる』って、自然療法をしている人たちは、みんな言ってる」と、がんを放置した末に訪れる死を覚悟したようなことを言う。
何にも言わず考え込んでいる様子の夫を見れば、「いくら考えたって私の考えは変わらないわよ! 健ちゃんにはわからないわよ。身内がね、がんと闘ってね、あんな思いをした経験でもなければ、私の気持ちなんてわかりっこないんだから!」と怒鳴り出す。これまでがんとは無縁だった夫は、私のがん告知という事態になって初めてがんに関わる情報を集め出した。広い視野を持つために、当然様々な分野の資料を読もうとするのだが、彼が西洋医学のがん治療に関するものを真剣に読んでいたりすれば、「健ちゃんは、私を病院に入れてしまおうって思ってるの? そんなことしたら、もう二度と帰ってこられなくなるわよ!」と気色ばみ、「ねえ知ってる? がん患者の家族って辛いのよ。何年も何年も心配して、いつ再発するか、転移するかって怯えて…。私が手術なんかしちやったら、健ちゃんはそういう思いで毎日を過ごすことになっちゃうの。せっかく健ちゃんを『がん患者の家族』にしないように自分で治そうって頑張っているのに、どうして応援してくれないの?」と、とっくに『がん患者の家族』になっている夫に向かって、めちゃくちゃな論理を展開する。
夫がもう何も言えない状態になっていることも、自分の言っていることが支離滅裂だともわかっていた。しかし、どうにも止まらないのだ。
引用:p75-76
がんグッズを買いあさる
振ると体に良い波動を出すという五百円玉くらいの大きさのメダルがある。このメダルが頭の部分に埋め込まれている『電動マッサージャー』は、手で振るよりはるかに強力な波動を出すという。体に触れさせず、体から離して使うそうだ。このマッサージャーをピラミッドの中心からぶら下げて、先端が乳がんの真上十センチのところにくるようにして仰向けに寝る波動療法? なるものを毎日実行した時期もあった。ただ、胸の上で鳴る振動の音がうるさくて続かなかった。今はただのマッサージャーとして使っている。
マッサージャーに入っているのと同じ波動のメダルが十数枚も縫い込まれているランチョン・マットくらいの大きさの『布製の波動マット』は、寝る時に乳がんの上に置くだけで威力を発揮すると言われた。でも胸に重石を置かれたようで、私にはダメだった。十七万円もしたこの波動マットは、今は無造作にソファーの上。目に入ると、「もったいなかった」という思いに苛まれ、意味もなくお腹の上に置いてしまう。
ビワの葉は、アミグダリンという制がん性のある成分が含まれているということで、自然療法でがんを治そうとする場合によく使われる。その成分が染み込んでいるという『シルクの掛け布団』があった。寝ているうちに体の悪いものを出して治していくと言われ、買ってしまった。しかし、ちょっと重かった。二十万円のビワの葉のエキスの掛け布団は、今は押し入れの奥。使っていないことを考えると「百万円の布団』より高い買い物だったのかもしれない。
要するに私は、夜眠っている時間を、最大限自分の体を治す時間に変えてしまおうと思ったのだ。だから、様々なグッズを並行して使うことに知恵を絞った。それぞれのグッズに対して、「これさえ使えばがんが治る」と言われるのだから、全部を合わせて使えば、ほんとうにがんが治って胸のしこりも消えてしまうかもしれないと思い、奇跡のグッズの重ね使いを敢行したのだ。
引用:p108-109
がんグッズは高い 告知後の冷静さを失った時こそ非日常的な買い物をしがち
ざっと部屋を見回しながら書き綴ってみたが、やはりため息が出る。平常心を欠いてお金を使い続けた私が確かに異常だった。だから散財となった。しかし、それにしても商品の価格が高過ぎると思うのである。グッズはどれもこれも十万円を軽く越え、健康食品は一ヶ月分が十万円するものもざらにあった。
命がかかっているがん患者には、「値段が高いから良い結果が出るかもしれない」という特別な思考回路があり、一縷の望みで「エイ!」とばかりに買ってしまうことがある。また、残された命の長さを妙に短く考えて、あせって結論を出す傾向もある。告知を受けた本人もその家族も、冷静な目を持てる精神状態ではなく、日頃無駄な買い物をしない人もしがちなのだ。そこにつけこんだ値段と言っていいものも多い。
商品の価格を覚えている限り正確に記してきたのは、予め具体的な価格を目にしておけば、いざという時「高いけど、こういうものはそれくらいしても仕方ない」と簡単に納得してしまわない予防になると思ったからだ。私が人に言えた義理ではないが、買う前には、勧めてくれる人だけでなくその反対の意見にも耳を傾け、急いて事を決めない方がいいと思う。
がん患者にとって、経済的な問題は避けて通れない。病気になると仕事ができなくなり収入が断たれることもある。でも出費は、無駄遣いせずに普通の治療を受けるだけでも、なにかと増える(私は、がん保険にも入っていなかったことを後悔した。保険会社の回し者ではないが、これは必要かなと思う。一度がん患者と認定されると、入れる保険がほとんどなくなるのが現実だ)。
ストレスはがん患者の大敵なのに、よほど恵まれた環境にある人でない限り、経済的に追い詰められるというストレスに見舞われるもの。がんが共存していく病気となってきた今、経済の問題と長丁場で向き合っていくこともがん患者にとって大きな課題となる。私のような無駄遣いは禁物なのだ。
私は子どももなく身軽なのをいいことに、「なるようになれ!」とばかりに、グッズハンティングをしてきた。私の手持ちのお金が底をつく時は、がんが治っているか私が死んでいるかどちらかだと開き直っていたわけである。しかし、いよいよ底をつくかという時、私は治ってもなく死んでもなく、死にかけて入院していた!
夫は、半狂乱の私が正気に戻るのを待ち、本当に必要な時に備えてくれていた。彼には頭が上がらない、と思うことは数知れないが、このことについては特にそうである。
引用:p117-118
自分自身でがんを治して見せると豪語しても、実は民間療法に頼っていた
人間って、というか私って……と言うべきなのかもしれないが、変なものである。
道に迷いだすと、物事に対する判断の基準がめちゃくちゃになっていって、「値段が考えられないほど異常に高額であること」と「考えられないような奇跡を起こすこと」を結びつけるようになるのだ。
草の粉療法は四ヶ月で五十万円くらい。気功先生の施術は、一回四十分で三万円。私は、すでにグッズや健康食品でかなりの散財をしていたわけだが、ここはもう、懐事情を考える思考回路というものを切断してこの道に進んでいった。
私がこのようにどつぼにはまったのは、「自分でがんなんて治してみせる」といくら豪語していても、結局本当のところでは「自分でがんを治すなんて、普通のことをしていたのでは無理だ」と、誰より私が一番信じていたという何よりの証拠だった。
引用:p123
民間療法の先生方の態度が大きく変わり、見放されたとわかって
私は、見事に放り出された。夫が初めて聖路加病院を訪ねた時に聞いた「民間療法は、頼っても結果が出ない人の場合、放り出されるから」という中村先生の言葉を思い出した。
「こういうことだったんだ。こうやって、使えなくなった客は放り出されるということだったんだ」と、痛みと苦しさと悲しさで思考を停止している頭を抱えながら、絶望の沼の中で私はうめいた。
引用:p148
民間療法の手口 悪い結果だった人は表に出てこない
民間療法でがんが良くなったという話はよく聞く。私はそういう人を実際に何人か知っている。がんを告知されたことも事実、良くなって元気でいることも事実、そこに嘘はないと思う。しかし、問題なのは、民間療法で良くなっている人たちは、基本的に病院に行きたがらない人たちであるということだ。
ということは、告知以後の正確な医学的データが揃っていないケースが多い。告知自体の誤診の可能性も否定できない。告知された時、ごく初期だったからこそ、そんなに悪くならず、良い状態が続いているという場合もある。でも、本人は「私のがん、治ったみたい」と思ってしまうし、周りにもそのように言って回ることになる。
そして、そのような状態の患者は、療法を売ろうとする人たちにとって、大いに利用できる存在なのである。彼らの「体験」を出回らすのだ。そして、良い結果が出たのは、その療法が素晴らしいからであり、患者が一生懸命信じて迷わず行ったからだと言い、その患者のことを「えらかった」と称え、患者はそう言われて喜ぶ。しかし、患者のある時点での結果を「体験」としてくくり、「えらい」と評価することでメリットがあるのは、決して患者の側ではないのだ。
「私は元気。このやり方でうまくいっている」というような、患者の間でよく交わされる会話は、共通の物差しが何もない中で成り立っているという認識が必要だ。初期の段階で告知される人もいるが、私のようにかなり進行してから発見される人もいる。がんの顔つきが優しい場合もあるし怖い場合もある。どんなに一生懸命やっても、元々「えらい人」にはなれない条件の人もいるのだ。「えらかった人」として褒め称えられている一人の患者の後ろには、私のように良い結果を出せなかった人がどれだけいるか知れないのだ。
(中略)
民間療法の世界では、良い結果が出たケースだけが取り上げて伝えられる。十人のうちたった一人の結果が良く出た場合であっても、全ての人の身の上に起こることのように、読み物、セミナー、口コミなどあらゆる媒体を通して伝えられる。そして、同じことをやっても結果が出なかった残り九人のケースについては、状況が報告されることがほとんどない。また、良い結果が出た人がそれから何年元気でいられたかはわからないし、並行して他にどんな治療を受けていたか、がん対策として生活に何を取り入れていたかといった、他の要素にも着目していない。わかっているのはがんだったということだけで、それがどういう人相をしたがんだったのか語られることもない。でもそれでいい、それで宣伝には十分役目が果たせる。これが、がん患者がすがる商品、療法につきものの手法なのである。
引用:p149-154
この書籍の目次
第一章 私をホスピスに入れてください(平成十三年十二月末)
第二章 治療開始(平成十三年十二月~十四年一月)
第三章 告知から立ち直るまで(平成十二年十月~十二月)
第四章 「がんは治る」は蜜の味(平成十二年十月~十三年十二月)
第五章 民間療法の果てに
第六章 もう一度命をもらって(平成十四年一月中旬~現在)
終章 がんって死んじゃうと思いますか?