2019年3月9日(土曜)に食道に腫瘍が見つかった旨の電話を受け、3月11日(月曜)にかかりつけ医がいる病院で紹介状をもらい、翌12日に大学病院へ初めて行った。3月9日から日曜以外は病院通いで、まぁ最短で物事は進んでいるが、私の頭は追いついていない。
2019年3月12日、初の大学病院へ
必要以上に緊張していた私
今日は、2019年3月12日(火曜)。かかりつけの病院から紹介を受けて初めて大学病院へ行く日だ。9日(土曜)に食道に腫瘍が見つかったと電話で伝えられ、11日(月曜)に紹介を受けて、今日火曜に大学病院という最短距離だ。
健康診断を受けたかかりつけの病院では、食道がんの手術はできないと言われ、その場で大学病院の予約をしてもらった。「手術ができないとはどういうことかな」「最初からもう手術と決まっているのか」などと思いつつだった。しかしかかりつけ医がいる病院の消化器内科では、「それほど大きい腫瘍ではないですから」とも言われており、どうも複雑な気分だった。
さて、大学病院へ行く当日。仕事場を12時過ぎに出て、13時前に自宅着。すぐに出かけようとしたが、腹を少し壊したのか、また緊張しているのか、便所を2回往復し、少し戻しかけた(いわゆる緊張している状態)。
大学病院の駐車場か近くの公共駐車場か迷ったが、時間的に一番近い有料駐車場へ。運良く、空いていた。13時過ぎに、とうとう病院内へ。最初の印象は「ホテルのロビーに似ている」だった。
まず地域連携窓口へ。紹介状と保険証を出して1分ほど待つと患者カードが既に用意されていた。言われたようにエレベーターを使って2階へ。途中、カフェがあったがいわゆる中高齢者の集まり、塊のような感があった。もちろん私も中高齢者の病人なのだが、得てして自分は違うと思いたいもの。
2階の消化器センター受付へ。受付の女性は私語が多く、適当だなと感じる。問診票を渡され記入。体温、血圧なども測定。すぐ横にいる老人3人の加齢臭がひどい。
問診票を渡し、指定された番号の部屋の前で待つ。13時半頃から待っていたが3、4名の後に呼ばれた。
呼ばれるまでの間、いろいろ周囲を観察した。まず、多くが、いや大半がよそ行きの服装である。まぁ、そうなるのだろうか、場所的に。次に、患者は名前ではなく、受付番号で呼ばれるが、よく自分の受付番号を覚えているなと感じた。
いざ診察室へ、でも次回の検査日程が決まっただけ
番号を呼ばれ、診察室へ。若い女性が隣にいた。学生のようだ。先生は、男前であるが、しかめ面をして、「あなたは食道がんである。あなたの場合、リンパ節まで、あるいは第何層かによって手術の方針が変わる」云々をまず伝えられた。冒頭から深く理解できていない。
「かかりつけ病院の先生も言っていたように、それほど深い腫瘍ではないですから」とも言われ、そこで安心はした。診察が終わるまで世間話はゼロである。流れ作業のようで、当然ながら、多くの患者の一人に過ぎないのだろうと感じた。
結局、主治医との初顔合わせだけやったような感じで、一週間後の3月26日にPET/CT検査、4月2日が内視鏡検査と診察となった。
うーん、この先生と仲良くなるには時間がかかるなぁと感じた(今となっては先生も信頼構築に向けて手探りだったのだと思う)。
夕食前後に妻と会話したが
病棟1階へ戻る。100人近くが受付前で列を作っている。病人がこの列を待つのは大変だろうと、まだその時点でも自分は病人ではなく傍観者だった。精算も番号がボードに表示されるまで待たねばならないとのこと。まぁ、待ちました。15時半頃かな、終わったのは。
16時過ぎに会社着。やることを済ませたあとは、少しゆっくりとした。病院からの帰路、仕事中、その後もほとんど今日一日のことは振り返らなかった。
夕食前後に少し妻と会話したが、深いところには触れなかった。4月2日の診察当時にその後の余生が決まるので、今、ジタバタしても仕方がないと、お互いにわかっていた感があった。
今、思えば
まず、病院に行くまでは緊張していたが、到着してからは周囲を観察するなど、余裕はあった。「間違いであってくれ」などとは考えもせず、淡々と主治医の話を聞いたが、あまりにも言語が違って、頭にはほとんど残らなかった。ただ、そんなに深い腫瘍ではないと言われ、ほっとしたのは事実。
この当時、食道がんの生存率の低さに嫌になって、ウェブ検索をほとんどしておらず、「標準治療」・「浸潤」・「化学療法」と聞いても、まったくピンとこなかった。