公開日:2019年5月30日 | 最終更新日:2023年10月3日

確定診断で食道がんステージⅠだった。この場合、2019年当時は外科手術と化学放射線療法のいずれかだが主治医は主流である外科手術をすすめた。その時、妻が「セカンドオピニオンは?」と言ってくれて、一度、考える機会を得た。もちろん二人ともあてはない。どの病院で、どの先生にセカンドオピニオンをしてもらうか。その時点で、まだがん患者新人の私には時間的にも知識的にも綱渡りだった。さすがにセカンドオピニオンまで主治医に頼るわけにはいかなかった。

セカンドオピニオンをどの病院にするかが決まれば、あとはそれほど難しくない

セカンドオピニオンを、どこでやるかを決めることが最重要

結論から言えば、どの病院にするかの選択肢は一つだった。

2019年5月14日に、病理検査の結果を聞いた。主治医は外科手術をすすめた。しかし、「セカンドオピニオンをする」と宣言したので、外科手術にするか化学放射線療法にするかを決めるのは、その後からとなった。

お陰様で、大都市と違って、私のいる都市では、今の大学病院に匹敵する大きな病院は一つしかなく、悩むことはない。セカンドオピニオンはそこになる。他の大都市の病院にするという発想はなかった。そこへの通院・入院など不可能と考えたからだ。もちろん私の状況が、どこにでもある食道がんステージⅠだから、というのもある。また、がん診療連携拠点病院なら、標準治療はどこでも同じことをやると考えていたこともある。

いずれにしても、自分の住んでいる都市の中で、セカンドオピニオン先を決めるとなれば、がん診療連携拠点病院をまず候補に挙げるべきだろう。

がん診療連携拠点病院などを探す : がん情報サービス相談先・病院を探す

どの診察科でやるかも漠然とイメージ。どの先生にするかは決めず

次に、どの診察科にお願いするかだが、外科手術をやるのであれば、今、通っている主治医のいる病院でいい。セカンドオピニオンは、化学放射線療法をするかどうかを決めるためにある。だから同じ消化器内科かなとぼんやりと思っていた。どの先生にするかなどは、決める必要性を感じていなかった。

どの先生でも同じことを言われる、と思ったのではなく、ここらあたりは病院側の方で窓口の先生は決まっているだろうと考えていた。若手の先生でもなく、かといって教授でもない、中堅どころの先生が対応するだろう、病院側も立場や評判を考えて下手なことはしないだろうと考えていたからだ。

ここらあたりは、この先生に聞きたいというのが先にあれば、最初から選択肢は決まっているはず。というよりも、そういう人は、その先生を最初から主治医にしているのかもしれないが。

病院が決まれば、すぐに申し込もう

病院の地域連携室へ電話

上述したように、病院の選択肢は一つだけ。今でこそ、ウェブから申込書類をダウンロードできるが、2019年当時はそれがなかった。病理検査結果を聞いてから約一週間後の5月20日にセカンドオピニオン先の病院の地域連携室へ電話し、申込書類の郵送依頼。

なお、大きな病院なら、どこでも必要な書類は同じだと思うが、あの東大病院はセカンドオピニオン外来があって、そこで必要とされる書類は次の通りだ。

  • セカンドオピニオン外来申込書
  • セカンドオピニオン外来相談シート
  • 意見提供するうえで必要なデータ、資料(これは主治医が用意するもの)
    血液検査記録・生理学的検査の結果(心電図、呼吸機能、脳波など)・レントゲンフィルム・超音波検査の結果と画像・MRI 検査、CT 検査のフィルム・病理組織検査の報告書

セカンドオピニオンについて|東京大学医学部附属病院 から抜粋。

ちなみに、国立がん研究センター中央病院は、必要な書類は同じだが、かなりソフトに書かれている。必要な方はサイトで確認を。

いずれにせよ、こんなところに病院の個性を垣間見ることができる。

セカンドオピニオン

申込書類を作成してファックス

22日に書類は郵送で到着した。申込書そのものに記入しても良いのだが、パソコンで同じフォーマットを作ってプリントアウトした。22日当日に地域連携室へ申込書をファックス。あとは待つだけだった。

なお、どの病院でも似ていると思うが、私が申込書に記載した項目と実際の内容は次の通りだ。

名前や病名などの基本情報食道がんステージⅠ
主治医・医療機関名・診療科***
発症時期・症状19年2月下旬に健康診断をしたところ食道癌が見つかった。3月26日から4月2日の間に、大学病院にてPET/CT検査、内視鏡検査等を行い、改めて食道癌と診断。自覚症状は皆無でした。
主治医の診断・治療経過・現在の状態4月15日に大学病院入院。4月16日にESDでの切除、4月21日退院。5月14日の診察でステージⅠ、数ヶ月以内の手術が第一、化学放射線療法が第二の実施を勧められる。現在、特段の自覚症状はありません。
今回のセカンドオピニオンで相談したい事項・特に伝えたい事項・年齢的に手術を勧められております。標準治療でもそう書かれていることは理解しており、また放射線治療後に手術をした場合、手術がしにくいと言われ、なんとなく手術を第一に考えておりますが、ここ数週間で結論を出す予定です。以下、ご相談したい内容です。
 
・一般論として化学放射線療法単独でも同程度の結果が出るとありますが、手術の方が優位な理由は何でしょうか。罹病部位を直接見るため、どこに癌が進行しているか、リンパ節への転移の有無が明確になる、という利点は理解しておりますが、他にはありますでしょうか。

・手術に耐えうる体力がないという理由が化学放射線療法を行う理由と理解しております(重複になりますが手術が化学放射線療法より優位と理解)。手術が大がかりで身体への負担が大きい、食道を全摘するといったデメリットをふまえても化学放射線療法より手術が優位、という理由は何でしょうか。放射線照射後の手術は合併症が起きやすいというデメリットは理解しております。
 
色々書いておりますが、体力さえあれば手術の方が化学放射線療法より優位な結果が出るという理由が不明と言うことになります。この点をご指導いただきたいと存じます。

受け入れの通知が到着

5日後の5月27日に受入の通知が郵送で到着した。そこで、「相談内容から消化器内科ではなく、腫瘍内科をセカンドオピニオン先とする、日時はこれで」と書かれていた。腫瘍内科への変更の点、なるほど、そうなのね、と納得した。

主治医からセカンドオピニオン用のデータを受け取る

翌日の5月28日に主治医との診察という名目でセカンドオピニオン用のデータを受け取った。その当時、主治医の診察日は火曜だったか。5月14日の病理検査結果を聞いた後、診察日は5月21日か28日となる。セカンドオピニオン先が決まった時点で、電話で紹介状(診療情報提供書)の作成依頼をして、日数を計算して28日までにデータをくださいとお願いした。これが最短だった。

時系列では次の通り。毎週火曜が主治医の診察日なので、セカンドオピニオン用のデータを受け取れる日は、5月21日か28日。21日は病理検査の結果を聞いて1週間後なので早過ぎて現実的でない。2週間後の5月28日にもらうためには、1)それまでにセカンドオピニオン先を決めて申し込みまでを終えておかねばならない。2)セカンドオピニオンを実際に申し込むよりも前に、どのようなことを聞きたいのかを明確にしておく、という2点をやり終えていないと、2週間後のデータ受け取りには間に合わない。

  • 5月14日(火曜):病理検査の結果を聞く。セカンドオピニオンをすると決める。
  • 5月20日(月曜):セカンドオピニオン先に資料送付依頼
  • 5月22日(水曜):セカンドオピニオン先から資料到着。その日のうちに、ファックスで申込書送付
  • 5月27日(木曜):受け入れの通知が郵送で到着
  • 5月28日(火曜):診察日。主治医からセカンドオピニオンのためのデータもらうためだけに病院へ行く。データをすぐにセカンドオピニオン先へ郵送。
  • 6月3日(月曜):セカンドオピニオン実施。

ご注意を

セカンドオピニオンをする旨を事前に主治医に伝えるのは当然だが、どの病院にするかが決まった時点で主治医にすぐに連絡し正式に紹介状を書いてもらう依頼を必ずしなければならない。データをもらわねば、セカンドオピニオンはできないともいえる。

データの次に重要なのが、「何を相談したいのか」。これが具体的・客観的でなければならないので、セカンドオピニオンをすると決めたら、1週間以内くらいにはまとめ終わっていた方がいい。

セカンドオピニオン実施

2019年6月3日(月曜)に、セカンドオピニオンを行った。

具体的な内容については、「セカンドオピニオンをやった」に書いたので一読ください。

セカンドオピニオンをやった | がんケアネット

今、思えば

結果的に、できる限りの最短になったが、やはり綱渡りの日だった。私の場合、セカンドオピニオン先を決めずに、セカンドオピニオンをやると主治医に言った。こうなると私がセカンドオピニオン先を決めると同時に、相手の病院側からも受け入れを承知する旨をもらわねばならない。さすがに主治医にセカンドオピニオン先を探してもらうことなどできないし、相談内容を決めてもらうわけにもいかない。

上述のように選択肢は一つだったので、申込要綱を見て、想定できる日程と主治医の診察日をにらみながら、物事を進めた。その点では申込書送付は早ければ早いほど、いや一日で書かねばならなかった。

何を具体的に相談したいかをできる限り論理的に書く。私の場合、具体的な相談内容が固まるまで一週間を要した、ここが最大のポイントだったと、今は思う。