公開日:2022年9月13日 | 最終更新日:2023年12月14日

おススメ書籍カテゴリの書評から、これはと思う名言・迷言、参考になる情報を集めました。ここでは、著者が示した「闘病中の気持ち・心情」について気になる文章をまとめました。一読いただき少しでも参考になればと思います。

以下の文章には、「末期」・「死」などが含まれている場合があります。

ガン病棟のピーターラビット

男性諸氏は入院中に身なりを綺麗にしよう

だからそのなかで、ぱりっとした自前のパジャマを着て、格好いいびろうどのガウンを着てさささっと散歩している、背筋の伸びたシルバーグレイのオジサマを見ると、「ああ、これはおじさんではなくて『おじさま』だなあ」という感慨に打たれてしまうのでした。

引用:p110- 機嫌の悪いおじさんたち 2008年1月22日

私もよくわかります。輸液ポンプのコードを抜いたり入れたり、面倒だった

おかげで点滴の輸液ポンプもなくなり、むろんだいぶ前にある24時間吸引のポンプもなくなり、このポンプがなくなったのはとてもでかいことで、点滴の輸液ポンプはコードで繋がれているので、むろんそれを引き抜いてもバッテリーがあるんだけど、お散歩していてもバッテリー減るのを気にするし、トイレにゆくにもまずコード抜いてから、戻ってきてコード入れたかな、よしみたいな、つねに「ひもつき」状態だったわけで、点滴抜いたら、まだ点滴台はあるんだけど、その点滴台が軽いこと、身軽なこと

引用:p159- 管人間からの生還 2008年1月13日

「もう二度としたくない」この気持ちもよくわかる

何も知らないから何とかがむしゃらに手術を受けて、でもってそのあとの辛い術後期間にも耐えられたけれども、もしこれが、「大体どういう展開になるか」知っていてやるんだったら、それでも、再入院して再手術、する気になるかどうか。

いまの私の意識では「たとえいのちが助かるためでも、これと同じ手術(内臓いろいろとっちゃったんだから、厳密に同じ手術はもうできないわけですが)はもう二度としたくない」というのが、とても正直なところだなぁ。

引用:p160- 管人間からの生還 2008年1月13日

転移

生きる意欲が上下する(2009年1月15日)

時々、音を立てて「生きる意欲」がなえてゆくのが分かる気がすることがある。何が直接のきっかけ、というわけでもない。

大体食事がらみのことが多いけれども、「誰も理解してくれない」と感じるときとか、「もうこれ以上の重荷に耐えてゆけない」と思うときとか、「誰一人私の背負っているものに同情してくれない」と思ったりーからだがだるくて、夕食の支度をしなくては、と思ってー誰も何も手助け一つしてくれないのだ、と思うときに、「まあもう、長くなくてもいいか」とふーっと水底に吸い込まれるように思う

そうかと思うと、息子にもっと、たくさん好きな美味しいものを食べさせてやりたい、旦那に孤独な老後を送らせたくない、翔さんが私がいなくなったらどんなにショックを受けるだろう、と思ったりするときには「生きなくては」と強く思ったりするのだが。

その繰り返しのはざまのように、波がやってくる。今日は悪い方の波だ。

引用:p138

医者が末期がん患者になってわかったこと―ある脳外科医が脳腫瘍と闘った凄絶な日々

自分はがんではない、でもなんで俺だけが… 悶々とする著者

もし、私自身が、同じような状況の患者を診ていたら、有無を言わさず手術を勧めていたことは間違いありません。しかし、当時の私は、心のどこかで、まだ高血圧のために出血が起きたのではないだろうか、また腫瘍は良性のものなのではないかなどと、自分をごまかしながら、気休めに降圧剤を飲んでいたのです。

しかし、その一方では、悶々とした毎日を送っていました。

そして、口を開けば「どうして俺だけがこんな目にあわなきゃならないんだ」と愚痴を口走ったり、他人に対するうらみごとを口にしたり、自分の運命をブツブツとのろったりしていたのです。

その一番の被害者は妻の規子だったでしょう。規子としても心配でいても立ってもいられない気持ちだったのでしょう。だから、「早く、きちんと検査を受けて」「早く治療を受けて」と言い続けていました。私の身を案じてのことはもちろんですし、専門家である夫が腫瘍らしいものを発見して頭痛を訴えているのですから、それは当然のことといえるでしょう。

しかし、私はそんな規子に対しても、「仕事が山のようにあって体調がどうのと言っていられないんだ」「どうせ、この痛みはわからない」「たいへんな目にあっているのは俺なんだ」などと、ずいぶんひどい言葉を投げつけていたのです。

それに対して、彼女は返す言葉もなかったでしょう。イライラしている私が、うらみつらみをぶつけてくるのを、黙ってじっと耐えるしかなかったのです。

医師の立場と患者の立場……。自分では十分理解していたつもりでしたが、自分が病になって初めて、本当の意味で患者や患者の家族の抱えている問題の一端に触れはじめていたのです。

引用:p46-47

自分としてはどうしても職場や大学の仲間に知られたくない。だから他の病院で自費で検査した

はたして本当に腫瘍があるのかどうかを調べるには、MRI造影(エンハンス)検査をやらなければなりません。注射をして、腫瘍の部分の影を濃く出して詳しく見てみる必要があるわけです。しかし、もし悪性腫瘍という結果が出た場合、過去二回MRIを受けた病院はうちの科がバックアップしているので、その事実がアッという間に大学中に知れ渡ってしまう可能性がありました。

この段階で、私はまだ大学の仲間には知られたくないと思っていたので、東京のある病院の院長をしている大学時代の同級生に頼んで、MRIの造影検査をやってもらうことにしました。さらに、健康保険を使うと、大学の事務にその情報が入る可能性もあるということで、弟の名前を使い、自費でやってもらうことにしました。 

今となっては姑息な手段だったとも思いますが、このときの私の心の中にはまだ、「脳外科医として自分が脳腫瘍になるなんて恥ずかしい」とか「一緒に仕事をしている仲間に、病気になった姿を見られるのは忍びない」という気持ちが強く残っていたのです。

正直に言いましょう。もし自分の大学で治療を受けることになると、入院したとたんに、大学中のみんなが私の病気の事実を知ることになります。 医師も、手術場も、検査室も、みんな私の知っている連中ばかりです。

「そうか、岩田は脳腫瘍になったのか、かわいそうに……」そういう目で見られるのが、何よりつらかったのです。大学の同僚に、あまりみっともない姿は見せたくない。できればほかの病院で治療を受けたい、……それが私の本心でした。

引用:p94-95

「自分が脳腫瘍なんかにならなければ…」入院後、堂々巡りのマイナス思考

慶応を出て大学人になった者は、みんな、多かれ少なかれ、機会があれば母校の慶応に戻って教授になりたいという夢をもっています。 正直に言うと、私自身もそういう夢をもっていました。そして私は、偶然にも、そんな夢を実現した同級生に、悪性脳腫瘍というホープレスな手術の麻酔をかけてもらうことになったわけです。

その運命の差に、私は非常な不公平感を感じないではいられませんでした。たしかに彼は人間的にもすばらしいし、学問的にも優れています。何を言っても仕方のないことだし、誰の責任でもないことを頭ではわかっているのです。でも、「なぜなんだ!」という気持ちになってしまいます。

もし、自分が脳腫瘍なんかにならなければ、彼と同じように、自分の夢を追い続けていたはずなのに……、自分のこれまでの人生や苦労はいったいなんのためだったのか……そんなマイナス思考を止めることができませんでした。

だからこそ、なおさら、仕事のことや学会のことが頭から離れなかったのかもしれません。こんなことをしていられないのにと焦って、実際に、やれるわけでもないことが頭の中で堂々巡りをしていたのです。

引用:p114

がんから始まる

がんと告知された後の気持ち

ほんの一時間ほど前、ここを通ったとき、(帰りに、この喫茶店に寄ってもいいな)と思った。

そのときの私は、まだ、がん患者ではなかった。がんはすでにあったけれど、そのことを知らなかった。

がんになったのだ。ロビーで禁じたひとりごとを、今度は、最後までつぶやく。

私の人生は、これで大きく組み立て直さなければならなくなった、と。これまでの心配事は、ほとんどが、年を取ったらどうしようというものだった。ひとりで、子もなく、住まいは? 年金は? 

自分がいかに、何の根拠もなしに長生きすると信じ込み、すべての前提にしていたかを、思い知る。その前提が、今日このときから、 なくなったのだ。

p33から

退院したあとは、断捨離

人からもらって、ずっと使わないでいるけれど「そのうち何かの役に立つかも」としまっておいた器類。贈った人が万が一訪ねてきたとき、ないと悪いから、とってあった飾り物。「いつか着るかも」とクローゼットの奥に入っていた服。それらを、みんな。

「そのうち」「いつか」なんて時より、再発や死の方が、今の私には現実的だし、義理ももう、いいって感じ。後の処分を考えて、なるべく減らさなければ、身軽にしなければとの、心理が常にはたらいている。要るものと要らないものとが、はっきりした。モノだけでなく、人間関係も。お付き合いに類するものは、断る。

エゴイスティックだけれど、外出がこたえる身には、命が削られるに等しいのだ。今の私は、時間、体力とも、余裕がない。

パジャマや腹帯など、入院に要した品だけは、捨てないでトランクに詰め、いつでもそのまま持っていけるようにしてある。(これもまた、敗北の思想だわ)とは思わなくはないけれど、ひとり暮らしの私は、 いざというとき、頼める人がいない。備えだけは、しておかないと

p159

すぐに「自分の命とモノを比較していた」

 (でも、何万かはたいて取り付けても、減価償却しないうちに、こっちの寿命が先に尽きてしまってはなあ) と、消極的な考えが、ついついわく。

エアコンについても、同じこと。いい加減、耐用年数に来ているらしくて、しょっちゅう停まったりするのだが、いまひとつ買い替えに積極的になれない。

仮に、こっちの寿命が先に尽きたとしても、もったいないと感じる当人はもう死んでいるわけだから、「もったいない」も何もないのだけれど。

落ち込んでいるときは、家電製品どころか、食品の乾物などの賞味期限にさえも、(二年先なんて、私より長くもつかもしれないじゃない)と思う。

p184から

思考の堂々巡りもよくある

基本は前向きの私だが、体調が悪かったり、疲労がたまったりすると、気が弱くなるときもある。すると、背後で待ちかまえていたかのように、「死」がすぐに、そばにしのび寄るのである。

私の思考は、次の回路をたどりはじめる。

1)手術治癒率は30%(直後に、50%と訂正されたが、そういうときの私は、悪い方の数字を取る)。

2)だから、70%は再発する。

3)再発したがんは、基本的に、治らないといわれている。

4)すると(この3から4へのつながりは実は、論理的正確さを欠くのだが、疲れているときの私は、そうと知りつつ放置する)、70%近い確率で、私は数年以内に死ぬわけか。

5)だったらもう、何をしてもしょうがないか。

6)でも、死なないかもしれないしな。 で、1に戻る、という堂々めぐり。

p186から