公開日:2022年6月8日 | 最終更新日:2023年12月15日

おススメ書籍カテゴリの書評から、これはと思う名言・迷言、参考になる情報を集めました。一読いただき少しでも参考になればと思います。

以下の文章には、「末期」・「死」などが含まれている場合があります。

抗がん剤 10の「やめどき」~あなたの治療、延命ですか? 縮命ですか?

治療も引き際が肝心

人生、何につけても引き際、が一番難しい。

(中略)

そう、抗がん剤治療も引き際が一番難しいのだ。それを一番よく知り、決断できるのは患者さんご本人しかいない。

引用:p269

やめどきのシュミレーションはやっておくべき

腹の探り合いもできずに、医師と患者の両方がお互いに「抗がん剤のやめどきは、相手が切り出してくれるに違いない」と思いながら、最期の日を迎えることが少なくない

患者さんがそれでもいい、と最期まで腹を括っていたというのなら、それでいい。

しかし「ああ、やっぱりもう少し早くやめておけばよかったな」と後悔するのであれば、本書を活用して、予め「抗がん剤のやめどき」をシミュレーションしておくべきであろう。

引用:p274

やる、やらない、ではなく「やめどき」が大切

抗がん剤はやる、やらないではないのです。大切なのは、あくまでも、「やめどき」なのです。

いつ、やめるか? その答えは、あなたの心の中にあります。ご家族とも十分に話し合って、悔いのない答えを模索してほしいと願います。

引用:p279

名言・至言・迷言

女子と乳がん

治療の最中はSNSから距離を置く

ウィッグ姿にとどまらず脱毛した頭やセルフヌードと見間違う写真までハッシュタグ付でUP。「その姿に励まされました」「勇気をもらいました」のコメントに応えるようにエスカレートしていく自撮りを見ているとハラハラしてしまう。小さい承認を求めているつもりでも、出血の止まらない傷を負うことがあるから気を付けて~、と心で叫ぶ。

SNSの楽しいところは「いいね!」の数やコメントで、ライトな自己肯定感が味わえるところにあるけれど、一方で危ないのは上記のような「気まずい事実」をポストし、反応されないことで「盛り」に走ることだ。「二度吐いたってことにしておこう」「体温3度盛っておこう」……小さな関心を求めてこんなマインドに陥らないように気をつけてほしい。

がん治療中に限らず、特に冬場は熱が表示された体温計や、点滴打ってるところの写真をSNSにアップする人って異様に多い。けれど、あれ正直見ている側への一種の「迫り」を感じてしまう。子どもの頃、なにもないのに包帯巻いて登校する「かまってちゃん」と原理が同じだ。

SNS上でメンヘラ認定されたら最後、以降なにをアップしても色眼鏡で苦笑され2ちゃんねるで生ぬるくウォッチされるのが近頃の常。叩く対象を探すためにパトロールをおこたらない「自意識警察」や「炎上特定班」は、本日も絶賛出動中だ。がんの治療中という精神力を要されるフェーズのときはよほどメディアリテラシーと客観性に自信がある人以外は距離を取った方が無難だと感じる。

引用:p70-71

同じがん患者で盛り上がる気持ちもわかるけども……

よく大病した人がいう「残りの人生はおまけみたいなもの」という言葉があるけれど、わたしこれが全くもって好きではない。あきらめを良しとできるほど生きていない若年性と呼ばれる年頃にハードな治療を施した後、しれっとリリースされたところで待っているのは特別扱いなんて1つもされない社会生活。「おまけ」どころの騒ぎではない。

そこで再び歯を食いしばって必死に食い下がるしかないのだから、若いってキツい。そんな中、30歳以下の若年で発症する乳がん患者は全体のわずか2%といわれるので、同世代の患者さんに会うと「同じ!」と手を取り合いたくなる喜びがある。

同世代特有の視点で話し合えるのはうれしく、喜びが大きい分、ものすごくお互い分かり合えるような気もするけれど、冷静になれば「がん」は今の自分を形成するたった一部なだけ。支え合えることは素晴らしいけれど、一生の友達かのように寄り添うことは時期尚早な気がしてならない。

引用:p70-71

キャンサーギフトは違和感だらけ

キャンサーギフトという言葉を、がんになった人なら一度は聞いたことがあると思う。「がんがくれた贈り物」といわれるもので、がんになったことで気づけた人との絆や愛情、時間が持つ可能性、そしてなにより命の大切さ。それらに気づくきっかけになったがんにむしろ感謝という意味を持ち、患者間で闊達に使われている。

わたしは初めてその言葉を聞いたとき、正直しんどいなあ、と感じた。不遇の中でも前を向くべき!という力技。そして思いっきり、結果論。今、渦中にいて必死な人間に対してなだめるような上から目線がこの上なく窮屈だった。ちょっと待ってくだされ。わたしは乳がんになる前から人に言われるまでもなく、感謝も絆も感じているし、愛と奇跡を信じているよ

治療は日々のことだから、体調がいい日には草木にも感謝できるほど前向きにもなれるし、具合や機嫌が悪ければ『ミヤネ屋』見ながら口から呪詛しか出てこない日もある。

引用:p115-116

キャンサーギフト? 貧乏くじでしょ

患者会で出会った女子たちは「これからどうしよう……」と将来への不安をつぶやいた。治療の日々は、無我夢中で走っているけれど、とはいえ自分がどこに向かっているのかも分からない。そして治療のひと山を越えてしまうと、あとは思った以上に平坦な日常が待っている。

間違いなく大病ではあるけれど、自分の手足は思い通りに動いてくれるし、日常生活に正直大きな支障はない。横を見ると同世代の友人たちのSNSは、結婚だとか出産だとか、今日もいちいちかしましい。ライフイベント大充実の20代から30代にどうやら生涯の付き合いを余儀なくされた乳がんを携えて、わたし達はこれからどう歩いて行けばいいのか。

本書編集の露木桃子女史とのランチ中に「松さんと同じ若年性乳がんの女性に会ってみませんか? 猛者がいるんです(震え声)」と持ちかけられたのは、フリーランスのライター兼翻訳家の松平百合子さん(当時6歳・仮名)だった。

(中略)

「は? 乳がんになっていいことなんてひとっつもなかったですよ! 10年経った今でも心の底から腹立たしいですよ。キャンサーギフト? なにバカ言ってんだって話ですよ。ええ、思ってますよ。自分は貧乏くじ引いたって!」

引用:p182

がんは通院治療ができる時代。仕事はやめないで

そういう時代で「治療費のあて」を保険や親、パートナーありきで考えるよりも、「治療によるブランクを作らず、自分で自分を支える実績を作り自信を持つ」にシフトしていった方が、長い目で見たときにずっと生きる自信をもたらしてくれるとわたしは思う。

今現在就業中の人は職場への働く環境の相談、仕事をしていない人でも時短のアルバイトから始めてみてもいいと思う。1万円でも自分で治療費を捻出できることは絶大な自信につながる。もちろん体に支障をきたすほど働きすぎるのはよくないけれど、仕事そのものを「ストレス」と見なす風潮には正直疑問を感じている。

一番怖いことは、がんの罹患に必要以上に自信をなくし、社会から離れて孤独を深めてしまうことだ。社会とのつながりを、がんをきっかけに断絶してしまうのではなく、細くても繋いで行けることが重要だとわたしは思う。働くことは自分の体を自分が養えているという自信になり、他者との交流で得られる自信は承認欲求を満たしてくれる。 

社会のセーフティネットが盤石で、がんと診断されたら向こう一生医療費の負担がない国もある。でも今現在の日本はそうじゃないんだから仕方ない。できることをやる。やり続ける。生きるっていつでもそこそこ厳しいけれど、時間と力を投じた分は返してくれる。

引用:p230-231

死ぬときに後悔すること25

あなたは私にとってなくてはならない人:17歳で白血病で亡くなった女子高生の手紙

「これが私の出す最後の手紙であるかもしれないのに、本当に何を書いたらいいのかわからない。今生の別れの言葉は何がいいのか思いつきやしない。私はもう一度生きたい。病気を克服してもう一度生きたかった。

ありがとう。私のために泣き、苦しみ、疲れ、身を捧げんとしてくれた人たちへ。

人間は誰かの役に立ちたい、救ってあげたい、また、誰かの何かのために死にたいと理想を持つ。自分の生が、死が意味あるものでありたいと思う。少なくとも私にとってあなた方の生は意味あるものであるだけではなく、なくてはならないものとして存在している。

あなたがたは、勇気ある強い人間だ。あなたは人を救ったんだという満足感と自信に満ち溢れて生きていってほしい。あなたは私にとってなくてはならない人です。そう思って、心から感謝と尊敬をしている人がいることを忘れないで欲しい。

引用:p188-189

がんと一緒にゆっくりと―あらゆる療法をさまよって

とうとう入院した直後の気持ち 医師は「治る」という言葉は使わない

しかし、この期に及んでも、私の心は微妙に揺れていた。

この病院でするべきことが始まった。病院の良いところに一つ一つ気づき、それを素直に受け止める自分がいる。だが一方で、「ほんとうにこれでよかったのか」と葛藤する自分もいた。自分のしていることとされていることを、もう一人の自分が意地悪な目で点検していく。洗脳から解放されていく人間がその過程でたどる、行きつ戻りつ考え方が変わっていく疑心暗鬼の状態に陥っていたのだ。

「がんなんて簡単ですよ。すぐに治りますよ」と安易に言った民間療法で『先生』と呼ばれる人たちと違い、この病院の先生たちは決して「治る」という言葉は使わない。ただひたすら、状況を改善するための処置に取り組んでいる。その処置を受け、まな板の上の鯉になっている間、私は精神的な拠りどころを求め、「『治る」って言ってよ。『大丈夫だ』って言ってよ」という思いでいっぱいになった。施術が終わった後も、「先生たち、気休めになること、何も言ってくれない」という思いに陥った。

商売のためであり、また無責任ゆえの「治る」という甘言に慣れてきた私は、なんともいえない物足りなさを味わい、処置を終えて部屋から引き上げていった先生や看護婦さんから取り残されたように感じていた。

ちょうどその時、ずっと私に付き添って様子を見ていた妹がつぶやいた。

「ここの先生たち、お姉ちゃんのこと、全身全霊で、助けようとしてくれてる」

妹の言葉は私の胸の奥に響いた。身内に「全身全霊で」と言わせるような先生たちには、私が求めていたような気休めの言葉は必要なかったのだ。

引用:p43-44

「治療法」がまず先ではなく、一人ずつ異なる体や心の状態が先にあって、それに則して行われるのが治療

がんといっても百人百様だったのだ。がんには百人百様の人相があったのだ。

それなのに私はずっと、がんというものを十把一からげに考えていた。がんといっても、一人一人その性質も治し方も治り方もすべて違う。ある患者のケースが、決して同じ病名を持つ他の患者には当てはまらない。

患者の心の問題にしてもそうである。それぞれの患者がそれぞれ違った環境の中でそれぞれの思い込みを作ってくる。だから受け入れやすいものと受け入れにくいものは、人によって全く異なるのだ。

病気に対する治療は、治療法が先にあるのでは決してなく、一人ずつ異なる体や心の状態が先にあってそれに則して行われるものだという当たり前のことに、私はこの日改めて気づかされたのだった。

引用:p54

がんグッズを買いあさる

ビワの葉は、アミグダリンという制がん性のある成分が要するに私は、夜眠っている時間を、最大限自分の体を治す時間に変えてしまおうと思ったのだ。だから、様々なグッズを並行して使うことに知恵を絞った。それぞれのグッズに対して、「これさえ使えばがんが治る」と言われるのだから、全部を合わせて使えば、ほんとうにがんが治って胸のしこりも消えてしまうかもしれないと思い、奇跡のグッズの重ね使いを敢行したのだ。

引用:p108-109

がんグッズは高い 告知後の冷静さを失った時こそ非日常的な買い物をしがち

ざっと部屋を見回しながら書き綴ってみたが、やはりため息が出る。平常心を欠いてお金を使い続けた私が確かに異常だった。だから散財となった。しかし、それにしても商品の価格が高過ぎると思うのである。グッズはどれもこれも十万円を軽く越え、健康食品は一ヶ月分が十万円するものもざらにあった。

命がかかっているがん患者には、「値段が高いから良い結果が出るかもしれない」という特別な思考回路があり、一縷の望みで「エイ!」とばかりに買ってしまうことがある。また、残された命の長さを妙に短く考えて、あせって結論を出す傾向もある。告知を受けた本人もその家族も、冷静な目を持てる精神状態ではなく、日頃無駄な買い物をしない人もしがちなのだ。そこにつけこんだ値段と言っていいものも多い。

(中略)

私は子どももなく身軽なのをいいことに、「なるようになれ!」とばかりに、グッズハンティングをしてきた。私の手持ちのお金が底をつく時は、がんが治っているか私が死んでいるかどちらかだと開き直っていたわけである。しかし、いよいよ底をつくかという時、私は治ってもなく死んでもなく、死にかけて入院していた!

夫は、半狂乱の私が正気に戻るのを待ち、本当に必要な時に備えてくれていた。彼には頭が上がらない、と思うことは数知れないが、このことについては特にそうである。

引用:p117-118

民間療法の先生方の態度が大きく変わり、見放されたとわかって

私は、見事に放り出された。夫が初めて聖路加病院を訪ねた時に聞いた「民間療法は、頼っても結果が出ない人の場合、放り出されるから」という中村先生の言葉を思い出した。

「こういうことだったんだ。こうやって、使えなくなった客は放り出されるということだったんだ」と、痛みと苦しさと悲しさで思考を停止している頭を抱えながら、絶望の沼の中で私はうめいた。

引用:p148