公開日:2022年7月23日 | 最終更新日:2023年12月15日

おススメ書籍カテゴリの書評から、これはと思う名言・迷言、参考になる情報を集めました。ここでは、著者が示した「治療に対する心構え」について気になる文章をまとめました。一読いただき少しでも参考になればと思います。

以下の文章には、「末期」・「死」などが含まれている場合があります。

〈いのち〉とがん: 患者となって考えたこと

死の受容の嘘っぽさ

だが、私は、私の友人や私の父の死を振り返り、そして、自分がこのような死を間近にした病状を迎えている今、死は別に受容しなくてもいいのではないかと思っている。

受け入れることができる人もいるかもしれない、でも、受け入れる人がいなくてもいいのではないか。私はまだ受け入れているとは言い難い、いや、最後まで受け入れるという気持ちになるとはとても思えない。

受け入れなければ穏やかになれないというものでもない。死はそこにある。そして、思わないでいいと、考えなくていいと言われても、考えてしまい、思ってしまう存在なのだと思う。

だからこそ、怖くて、考えたくなくて、消えてほしい、その存在が消えてほしい。

けれども、そこにあるまま、そして、受け入れることができないまま、それでもいいのではないかと思って、最後まで生きるしかないのではないだろうか

当たり前のことだけれど、人は死ぬまで生き続ける、だから、死を受け入れてから死ぬのではなくて、ただ死ぬまで生きればいいんだと思う

p217-218

「カーテンコール」川島なお美

自分の病への向き合い方次第で人生は大きく変わる

がんかもしれないと診断されることで、人生真っ暗になってしまったとしても、それは一瞬のこと。目からウロコの「気づき」をたくさんもらえて、かえって健康的でいきいきした人生に変わることだってある。それは、自分の病への向き合い方次第なんです。ただただ放置し、あきらめて天命をまつのが一番賢く穏やかな生き方という理論。経験者としてはそれがすべて正しいとは思えません。

がんと診断されたら放置するのではなく、その対処いかんでより健全で、充実した生き方が待っている。それは、私ががんになってみて初めてわかったことなのです。がんと診断された皆さん、決して「放置」などしないでください。まだやるべきことは残っています。かといって医者のいいなりになって、抗がん剤治療などと早まらないでください。

引用:p15-16-

治療法は自分で、じっくり決めるもの

病院に行けば医者がなんとかしてくれるという考えは捨てて、生活習慣や心の持ち方を変えるところから始めてください。治療法は自分で決めるもの。じっくり研究しながら、後悔のない最良の選択をしてください。

引用:p52

第8章 私の「がん活」から、4つの注意点

  • 患者の目を見ない医師は避ける
  • 患者ではなく、自分の利益を考える医師は避ける:初めてセカンドオピニオンを受けた、某有名大学病院の若きドクター。前にも書いたとおり、切りたくて、最先端治療をやりたくてやりたくて、私の気持ちはそっちのけで、ウズウズしているように感じられた。
  • 病気になっても病人にならない。
  • 自分のホームドクターを見つける

「だから、生きる。」

この本を書こうと思った理由

最後に、なぜ、僕が本を書こうと思ったのか。それは、この本を通して伝えてきたことだけれど、最後にもう一度言っておきたい。

一つ目は、とにかく、自分の感覚を信じてほしいということ。僕も定期的に人間ドックを受けていたし、ちょくちょく通院もしていた。それでも病気になり、癌の発見が遅れてしまった。自分で不調を感じていたのに…。

だから、もちろん検査は目安ではあるが、検査結果を鵜呑みにしないこと。お医者さんも人間。時には見落とすこともある。

あなたが医師に診察されるということだけでなく、あなた自身が医師を見定めていくというくらいの気持ちが必要であると思います。

引用:p242

緩和ケア医が、がんになって

第五章 「『患者風』吹かせて~これだけは言いたい! 12のこと」から抜粋

1.手放す終活のすすめ

  • ゴミとして捨てるのではなく、価値あるものでも手から放す
  • 終活は死ぬためのものではなく、今を生きるためにある
  • 過去のものを持ち続ければ、今を生きられない

4.「いつかは死ぬ」のではなく「いつでも死ぬ」

  • 「人間はいつかは死ぬ」ではなく、「私はいつかは死ぬ」・「私はいつでも死ぬ」
  • 末期がんになると「私はいつでも死ぬ」と思ってしまう。
  • 自分の死を実感した人は、「私は死ぬ」・「私はいつでも死ぬ」

5.がんサバイバーにも、いろいろある

  • 「がんサバイバーってもいろいろだ。一括りにしないでくれ!」
  • 完治している人がうらやましい

9.患者自身に勝るとも劣らず家族も苦しい

10.「がんは死ぬまでに時間の猶予がある」は甘い考え

  • 体力を消耗し、やる気を失い、家族を辛い目に合わせる時間が長いということでもある

ヒマラヤの風にのって ー 進行がん、余命3週間の作家が伝えたかったこと

禁止三箇条 ”泣くこと、悔やむこと、思い出話をすること”

たとえば、ぼくが交通事故で死んだとしたら、どうだろう。あっと思った瞬間に死んでいるわけだから、こんな時間は持てないわけだ。

そういうのに比べれば、何日というのはわからないが、少なくとも近いうちに死ぬということを知らされたことは、非常に貴重な体験である。ありがたいことだと思う。人よりもいい人生を生きているという感じがする。

それなのに、泣いたり、悔やんだり、思い出にひたったりするのは、その時点で生きることをやめているに等しい。ほんとうに生きるのだったら、そんなことはしない。こういうことをしなければいけない、という固定観念にとらわれすぎているように思う。残された貴重な時間である。それをどう使うか、元気なときに考えてもいいことのひとつだ。

p128

ぼくがいま、泣かない理由

ぼく自身、涙で消化した時間があるように、ぼくのいないところで泣くのは当然だと思う。妻と娘がふたりでいるときに泣いたりとか、娘が彼氏といるときに泣いたりとか、そういう発散場所は必要だから、将来の息子にはその役を頼んだ。

だけど、ぼくの前では絶対に泣くな! これは厳命。泣くのは無理もない、とは思わない。こういう状況は、涙がすべてを狂わせてしまうからだ。正しい判断能力を狂わせてしまう。一回泣いたら、もう収拾がつかない。

泣かないことによって、妻と娘のふたりはどんどん強くなっている。家族三人での会話にタブーがなくなってきているのだ。何かで泣いてしまうと、こんなことをしゃべってはいけないと思ったりする。でも、じつは「こんなことをしゃべってはいけない」ということが、一番重要なことだったりするものだ。

ぼくにとって、しゃべってほしくないことというのは、自分と自分の現在の状況とは関係ないような日常的な話題。たとえば、小沢が無罪になったねとか、ゴールデンウィークすごいねとか、そういう話題は聞きたくもない。なにも自分がこんなになっているから、人が旅行に行くのに腹がたつわけではない。単なるごまかしだと思うからだ。

ぼくらは、もっと大切なことを話す必要がある。人生論とか、これからの話とか、具体的に何が必要だとか……限られた時間の中で家族が話すことは何か、みなさんも考えてみてほしい。

引用:p132

主治医の証言から:余命は告知すべき

がんの患者さんはみんなそうみたいなんですけど、「はっきりと余命を告知してもらうほうがよかった」と言います。精神科の先生もみんな言います、可能な限り告知はすべきだ、と。

そうすれば、人生でやり残した優先順位の高いものからやるので、死ぬ直前の満足度が違うと言います。それが、何も言わずに、最後に来て「もうだめです」となると、ものすごく悔いが残るわけです。

引用:p207